帰ナチ法の浅ましさとゴドウィンの法則

どうやら、何でもかんでもナチスに関連づける下らない論法は「トリアージ論争」の専売特許ではなかったらしい。

「ネットでの議論が長引けば長引くほど、ヒトラーやナチを引き合いに出すことが多くなる」
ゴドウィンの法則 - Wikipedia

今度は「トリアージ論争」でいちゃもんをつけたのとは反対側とおぼしき人が下らない帰ナチ法*1を振りかざしている。最初は放置しておこうかとも思ったのだが、ブックマーク数が余りにも増えている割にまともな批判がなさすぎるので簡単に書くことにする。

ヒトラー菜食主義者。よって菜食主義者はナチ」

問題の記事の論法はこうだ。

「大企業は儲けすぎだからもっと税金を取れ」「老人への保障をもっと手厚くしろ」「大きな店は潰して、小さな店だけにしろ」「不動産を貸したり転売して儲けることは許さない」「高金利の金貸しは許さない」といった話だから、いまの日本でもよく言われているような話である。
これがナチスの綱領であることを隠して、「このような政党があったら支持するか?」というアンケートをもし日本でやったら、支持する人はかなりいるのではないか。
ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では - モジログ

だから何だというのだろうか。同じことをドイツ社会民主党SPD)支持者の前で言えるものなら言ってもらいたいものだ。SPDは曲がりなりにも最後までナチス一党支配に抵抗した党だが、政策傾向としてはここであげつらわれているものと同様だ。
さすがに、この論法が乱暴であることには気づいたらしく、ブログ主のmojix氏もこのように付け加える。

もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。
ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では - モジログ

これは驚いた。ならば「殺人は許さない」という政策を強要することも危険なのだろうか。そのような「考え方そのもの」が危険だとすれば、当然そういうことになる。

しかし、話はそこにとどまらない。早い話、mojix氏が引用しなかった条文を同じくWikipedia日本語版から引用しよう。

  • 我々は、我が民族を扶養し、過剰人口を移住させるための土地(植民地)を要求する。
  • 民族同胞のみが国民たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえにユダヤ人は民族同胞たりえない。

25カ条綱領 - Wikipedia(番号は引用者により削除)

こちらこそがナチスの本質であることは明らかである*2街宣右翼であろうとこのような条文には反対するであろうし、日本で最もナチスに近いであろう在特会員であろうとも前者の条文には到底賛成できないに違いない。つまり、mojix氏が引用した条文は、敢えて言えば「どうでもいいもの」ばかりなのだ。

要するにこの記事、ナチスを引き合いに出して自分が否定したいものの印象を貶め、その心理的隙を突いて暴論を主張しようというだけの浅ましい狙いのものなのである。詐欺まがいの論法といってもいい。そんな単純な仕掛けをこれだけの人のほとんどが見抜けないのだから呆れかえる。
「ネットは真実」と言っている自称情報強者は論外としても、デジタル化万歳の人たちは既存メディアの存在自体に否定的のようだが、このような状況では少なくとも、素人が書きつづったブログなどの「数」をいくつ集めても、既存メディア程度の「質」さえも凌駕できないことは余りにも明白だろう。

「25カ条綱領」の無意味さ

しかしそもそも、ナチスの政策を語る際に「25カ条綱領」を持ち出すこと自体が空しいのである。同じくWikipedia日本語版からmojix氏が引用しなかった部分を引用しよう。

1921年7月29日にヒトラーが第一議長になり独裁権力を握ると、党綱領の意義は薄れていった。ミュンヘン一揆ヒトラーが収監された後、グレゴール・シュトラッサーらナチス左派は社会主義色を強める綱領改定案を出した。しかし既成勢力との関係は党勢の拡大に重要と考えたヒトラーは、バンベルクで開催されたバンベルク会議において「指導者原理」を強調し、反対派を沈黙させた。この会議で綱領は不変のものとされたが、ヒトラーは「指導者原理」により綱領を有名無実化していった
25カ条綱領 - Wikipedia(強調部引用者)

「指導者原理」という言葉に聞き覚えのない方もいるかも知れないのでこちらもWikipedia日本語版から引用しておこう。

指導者原理は、ドイツ第三帝国の統治構造における政治的権威の重要な基礎である。この原理の意味の最も簡潔な理解は「総統の言葉は全ての書かれた法に優先する」であり、政府の政治方針、決定などは最後までこの原理に従った。(略)
「指導者原理」のイデオロギーは、それぞれの組織を指導者(リーダー)の階層と見なして、そこでは全ての指導者が彼自身の領域においては絶対的な社会的責任を持ち、彼の配下の人々には彼のみへの絶対的な服従と対応を要求する。最上位の指導者(総統であるアドルフ・ヒトラー)は、誰にも服従しない。
指導者原理 - Wikipedia(強調部引用者)

一言でいえば、「ヒトラーはもっと平等である」ということである*3。こんなものが通ってしまえば、綱領がどうであろうと意味がないことは言うまでもない。
なお、もとの「25カ条綱領」からさらに「社会主義色を強める綱領改定案」を出したグレゴール・シュトラッサーのナチス・ドイツでの地位を知っておくのも無益のことではなかろう。
以下が、綱領が有名無実化された「バンベルク会議」の後の顛末である。

しかし1926年のバンベルク会議でヒトラーに屈服、以後は宣伝全国指導者を務めることで彼の路線に従う姿勢を取った。後にヒトラーが宣伝全国指導者を兼務した後は組織全国指導者に就任、1930年にオットーが脱党した後もその地位を保持したが、1932年にクルト・フォン・シュライヒャー内閣への副首相としての入閣をめぐりヒトラーヘルマン・ゲーリングと対立、党の全役職を退いた。
1933年1月30日にヒトラー内閣が成立すると、オットーはオーストリア、またカナダへと亡命したが、グレゴールはドイツ国内に留まった。そして1934年6月30日の長いナイフの夜事件の際にゲシュタポに捕らえられ、裁判を経ることなく射殺された。
グレゴール・シュトラッサー - Wikipedia

本来mojix氏が貶めたかったであろう「25カ条綱領」の社会主義的傾向がどの程度ナチスの本質であったかが窺い知れるであろう。

補足:「国家社会主義」は「ナチ」に非ず

今回書きたいことは以上であるが、はてなブックマーク - ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では - モジログを見るととんでもない勘違いをしている人が多いようなので参考までに記しておく。

b:id:tmsbb 政治  現在の左派と国家社会主義。 民主党だけでなく、自民党内にも極端なパターナリズムを掲げる奴がいるからね。 「こんにゃくゼリー」問題とか。。 2010/10/11CommentsAdd Star

b:id:deadcatbounce *あとで読む, 左翼 民主党国家社会主義 / ブコメではてサがチョー必死 2010/10/11

この両氏と、スターをつけているid:paravolaid:kowyoshiid:hayaton117の三氏に念のため言っておきたいのだが、「国家社会主義」は「ナチ」の同義語ではない*4

確かに自民党などから、民主党の政策は「国家社会主義」であるという批判がなされている。

自民党は15日午前、政権構想会議(議長・谷垣禎一総裁)を党本部で開き、新たな党の基本理念に関する勧告を取りまとめた。民主党を「国家社会主義的政党」と批判、「政府の国民生活への過剰な介入を認めない」として、明示はしなかったものの「小さな政府」路線を選択する姿勢を強調した。
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121501000286.html

しかし言うまでもないが、自民党民主党を「ナチス」だと批判したわけではない*5

確かにナチスの正式名称Nazionalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei*6は日本語で「国家社会主義ドイツ労働者党」と訳されている。しかし、通常経済の文脈でいわれる「国家社会主義」に対応するドイツ語はStaatssozialismus*7であり、ナチスとは関係がないのだ。

Traduttore è traditore*8とはよく言ったもので、不用意な訳語が定着してしまったため、このような誤解をする人が現れたのであろう。このようなことがあるためか、最近ではナチスの党名は「民族社会主義ドイツ労働者党」「国民社会主義ドイツ労働者党」など別の訳語が用いられるようになっている。

追記

b:id:logic_master いかがなものか なんでまだいるの?さっさと消えなよ公約通りに。 2010/10/17
はてなブックマーク - 帰ナチ法の浅ましさとゴドウィンの法則 - 吾輩は馬鹿である

誰も「公約」などした覚えはない。閉鎖する「予定」と書いたことはあるが、そんなものは私の心づもりにすぎず、それを変更するのは当然私の勝手だ。これをきちんと読むこと。

言いがかりを付ける人があまりにも多いので補記。これは私の内心の心づもりに過ぎず、私の行動を制約するものではないし、また誰に何の約束もしたつもりではない。
吾輩は馬鹿である

そもそも、あなた方に中傷や罵言以外のものをもらったことがないのに、どうして私があなた方のために何かをしてやらなければならないのか。厚かましいにもほどがある。
ちなみに、私の存在が目の上のたんこぶだと思ってこのような、あなた方風に言えば「国語の成績が悪い」ことを言ってもらえているのなら光栄だが、私はあなた方に腹を立てている立場なので、あなた達が非を認めない限りは、閉鎖しろ閉鎖しろと言われれば言われるほどますます閉鎖する気がなくなるのは少し考えればわかることだ。もう少し頭を使ってはどうだろうか。

*1:Reductio ad Hitlerum - Wikipedia。また、帰謬法ならぬ帰ナチ法はいいかげんにやめてはどうか - 吾輩は馬鹿であるをも参照。

*2:少なくとも、こうした方向性がなければナチスがここまで語られることはなかったはずだ。

*3:ジョージ・オーウェル動物農場」参照。

*4:「はてサ」を間接的に擁護する形になるのが極めて不本意なのだが…。

*5:はてなブックマーク - 自民、「小さな政府」路線を選択 民主は「国家社会主義政党」 - 47NEWS(よんななニュース)を見る限り、id:oga_jpid:R2-3PO氏も勘違いしているようなので、誤解を解くためこの際idコールさせて頂く。

*6:ドイツ語をご存じない人のために英語に訳せばNational Socialistic German Workers' Partyである。語の対応は明らかと思う。

*7:これも英語に訳せばstate socialismである。

*8:イタリア語:「翻訳家は裏切り者」。トラドゥットーレ・エ・トラディトーレという掛詞。

「バカがスゲー」と人を蔑むid:Dr-Setonもスゲー

呆れかえったものをみたので手短に反応しておく。

このバカは、典型的な「技術バカ」ってヤツだな。我々が最初に学ぶことは、「科学の限界」ってこと。以前のトリアージ騒ぎの時の「倫理を科学でアプリオリに導けるか?」というのも同じなんだが、科学における限界、それは我々が人間である限り逃れられない制約でもある。
神勇者ゴッドとかいうバカがスゲー!! - シートン俗物記

「倫理を科学でアプリオリに導けるか?」だって?一体誰がそんなことを問題にしていたのだろうか。捏造もよいところである。そのことについては何度も触れたとおり。

福耳氏が述べた意味での「最適」というのは術語であって、日常語とは異なる厳密な定義が存在する。(略)
福耳氏は、「ある状況で、ある価値基準に沿えばトリアージが最適である」ということを言ったまでであって、「トリアージは無批判に肯定されるべきである」とは言っていないのである。従って、福耳氏やその擁護者に「お前はトリアージされても文句を言うな」というのは筋違いな批判である*4。
猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解 - 吾輩は馬鹿である

見ての通り、話は全く逆である。「倫理を科学でアプリオリに導けるか?」は歪曲に等しく、せめて「倫理を科学で説明できるか?」と要約すべきである。
かくのごとく、「トリアージ騒動」の本質は、「ある特殊な状況で倫理上許容されているとされる行為(トリアージ)に対し、数理計画(最適化)の視点から説明を与えた」ことを「トリアージの名の下に弱者切り捨てを主張した」と曲解され、特定個人およびその擁護者*1が執拗かつ陰湿な個人攻撃にあったこと、それに尽きるのである。このことを主張すると「誰もそんな主張はしていない」「文脈が読めていない」と逃げられるばかりだったのだが、またしても馬脚が露わになったといってよさそうである。

*1:私を含む。

「理系人間は頭が数学」という侮蔑

鳩山由紀夫氏が政治家を志す前は応用数学の研究者であったことは比較的知られている。
工学博士である鳩山氏が、法学士や経済学士揃いの日本政界の中で異色な存在であったことは疑いもない事実だ。そのことから、あるいは政治に新しい風を吹き込んでくれるかもしれないと期待した人も多くいたようだが、そのことが必ずしも誤っているとはいえない。

とはいえ、それにもあくまで限度がある。たとえばアルベルト・フジモリ氏と李登輝氏に何がしかの共通点を見出すことはできるかもしれないが、まさかそのことの要因を、両氏が共に農学博士であることに見出す人はいまい。

しかし、こと相手が鳩山氏となると、その良識が途端に働かなくなる人が多いようだ。鳩山氏が学者時代に研究していたモデルの「マルコフ性」という性質*1からの牽強付会で鳩山氏の思想を説明しようとする俗論が広くはびこっているようだ。先日、佐藤優氏の「知の欺瞞」 - 吾輩は馬鹿であるという記事の中で、その典型を批判させていただいたが、今日もまた同じようなものを見て再度呆れかえることとなった。しかも今回の場合、当人は本職の研究者であるのだから、佐藤氏よりも余程罪が重い。

今回取り上げるのは、河合薫氏によるhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100601/214710/という記事だ。記事の趣旨は、

もし鳩山首相が、マルコフではなく、米国の健康社会学者、アーロン・アントノフスキーに傾倒していたら、ここまでひどい結果にはならなかったのではないか、と私はかなり真面目に思っている。
アントノフスキーとは、私が最も敬愛する健康社会学者で、人の生きる力を「Sense of Coherence(首尾一貫感覚)」という概念で説明した人物である。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100601/214710/?P=1

というものである。なお、本記事では、アントノフスキーの学説の内容には触れず、もっぱら鳩山氏の思想とマルコフモデルを結びつける論法のみを題材とする。

ロボット工学者は機械人間なのか

はじめに、単純な誤りを指摘しておく。鳩山氏がマルコフに傾倒していたというのは根拠がなく、おそらくは完全な誤りで、そればかりか鳩山氏はマルコフという人物が何世紀に生きた人物かもまず知らないであろう。河合氏の専門である健康社会学ならいざ知らず、自然科学や工学の世界では、過去の偉大な学者の名を冠した分野を研究していることは、その学者に思想的に傾倒していることを全く意味しない。このことには深入りしないが、そのあたりの事情は奇しくも今日亡くなったロシアの数学者 V.I. アーノルドの名言

アーノルドの原理:概念に人名が冠されていれば、その名は発見者のものではない。
ベリーの原理:アーノルドの原理はそれ自体にも適用される*2
V.I. Arnold, On teaching mathematics

あたりから察してもらいたい*3

しかし、私が問題にしたいのはそんなことではない。河合氏の記事の最後の結びの一段落、これに尽きる。

物事には過去があって、未来がある。過去の情報に影響を受けないなんてことは、人が介する限り、あり得ない。マルコフモデルは絶対に、人には当てはまらない。だって何が大切かは過去があって初めて決められる。同じことを繰り返さないでほしい。ただただ、そう願うだけである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100601/214710/?P=4

これはあまりにもひどい。いくら鳩山氏に批判的だとしても、言ってよいことと悪いことがある。研究者の思考回路を研究対象と同一視するというこのナイーブな発想、それはまるで「ロボット工学者は感情を介さない、血も涙もない人間である」と言っているに等しいことがわからないのだろうか*4。揶揄とさえも言えない、単なる侮辱である。

学問とはものごとを「敢えて」単純化するということ

まさか博士号を持った研究者である河合氏がこんなことを理解していないとは信じたくないのだが、そもそも学問とは、複雑な物事をより単純かつ普遍的なモデルに落とし込むことである。

そして、その単純化・普遍化の度合いは「理系」*5の学問においてより甚だしい。自然科学は、現象をより少数の原理、ことに簡潔な数式で表せることを非常に尊ぶ。逆に言えば、数式に代表される狭義の論理的言語に落とし込めないようなものはもとより「理系」の学問の対象ではない。

「理系」の研究者はその「単純化」をわかった上でやっているのである。決して、「世の中の物事は全て単純な数学的モデルに落ちる」と信じているからやっているわけではない。いわゆる「理系クン」が女性を目の前にしてぎこちない態度をとっているとすれば、それは「女心*6を数式に当てはめようとしているから」ではないことだけは確かだ、と言えばこのことは当然のことと理解していただけるであろう*7

かくのごとく、鳩山氏の思考回路がマルコフ的であるなどと判断する根拠はどこにもない。そんなことは少し落ち着いて考えれば誰にでもわかるはずなのだが、どうも「理系」の人間はことある事にこのような(半ば意図せぬ)侮辱を受けることが多いようで、本当に辟易するばかりである。

語り得ないことには沈黙しなければならない

河合氏は以下のように書いている。

いざこういう結末を迎えてみると、“鳩山博士”の博士論文には、現行案にほぼ戻ってしまった今回の結果をにおわせるものがあった。
鳩山博士の論文は、"Markov maintenance models with repair"(1976年にスタンドード大学で受理)というもので、Yukio Hatoyamaの英文原著論文である。
その内容は、ロシア人の数学者、アンドレイ・マルコフにちなんで「マルコフモデル」と名づけられた確率モデルを使って、機械の保守修繕をどれくらいの時点でやればいいのかを論じたものらしい(数式だらけで私には全く分からなかったけれど)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100601/214710/?P=1

笑いを取ろうとしているのでなければこのようなことを書くものではない。「全く分からなかった」ものを根拠にして「今回の結果をにおわせるものがあった」などと結論を出すなど、博士号を持った人が書けば鼎の軽重を問われるだけだ。別に「数式だらけ」のものを理解できないことが罪であるなどと誰も言いはしないのだから、自分が理解していないことについては公の場では言及を控える、そのことこそが博士たるものの持つべき慎みというものではないか。猛省をしていただきたい*8

追記:ブックマークコメントにお返事

なお、追記に伴い誤植および誤解を招く可能性のある表現を何箇所か訂正した*9

b:id:kumakuma1967 保健学博士は工学博士と同じくらい理系博士だろ 2010/06/04

単純な分類で行くとそうなりますが、河合氏の専門は健康社会学であり、従って同氏は、保険学の基礎的な知識こそ備えているにせよ、「文系」分野の社会学の方法論を主に研究活動に用いていると判断できます。

b:id:mobanama 本筋じゃない部分, 科学 "逆に言えば、数式に落とし込めないようなものはもとより「理系」の学問の対象ではない"暴言の域に近いと思う。物理帝国主義的。 2010/06/04

ご指摘ありがとうございます。これはおっしゃるとおり、わかりやすく書こうとした余りに誤解を招く表現となっていました。「数式に代表される狭義の論理的言語」などと改めておきました。

b:id:Cunliffe 相変わらずあたまがわるいね。 2010/06/04

相変わらず、何の根拠も挙げずに人を中傷することしかなさらないようで、非常に頭がおよろしいですね。

b:id:sor_a 鳩山さんは科学者だと思ってたが数学者だったのか.(後略) 2010/06/04

鳩山氏の専門分野はオペレーションズ・リサーチと呼ばれる分野ですが、この言葉自体になじみがない人も多いと思われるので、より広い分類の「応用数学」と書いておきました。ただし、この分野は大学の科目名では「数理工学」とされることも多いので、理学というよりは圧倒的に工学に近い分野です。もっとも、日本では応用物理学科や応用数学科はだいたい工学部であるのに対し、米国などではこうした分野は数学科で扱われることも多いので、鳩山氏を「数学者」(日本でこのように呼んだ場合、暗黙に「理学者」と扱われ、数理物理学以外の応用数学は含まれないことが多いです)と理解するのが正しいかどうかはかなり微妙な問題です。いずれにせよ、単なる言葉の定義の問題なので「理学と工学の境界分野」であると考えていただければよいかと思います。

b:id:kazutanaka science 名言のリンク先が面白かった。ポントリャーギンも似たようなことを書いてたな、と思ったら弟子なのか。 2010/06/04

師匠筋にはコルモゴロフもいるようですね。いずれにせよ、応用を意識した解析学の教科書の名著を書くという意味で私はこの学派を尊敬しています。記事V.I. Arnold, On teaching mathematicsには、私も目を開かされた経験があり、応用数学を専門にする者の端くれとして私もアーノルディアンを自称しています。

b:id:aionarap 全く同感。自分の研究分野で一般的に使われている公理を全く関係ない分野に不細工なアナロジーを展開して敷衍するなんて人はまずいないだろう 2010/06/04

ところが、そんな当たり前のことを理解してくれない人が世の中に多いのだから困るのですよ。卑近な例では、このブログの本来のテーマである「トリアージ騒動」では、この「はてな」で最も知性が高いとされている人たちがそんなことも理解できないことが露わになったものと私は認識しています。

追々記

「アーノルドの原理」は記憶に従って書いてしまっていたのですが、当該エッセイV.I. Arnold, On teaching mathematicsを再度読み返してみたところ、本文中の引用には問題があることに気づきました。私は「アーノルドの原理」は、「自分の研究成果を宣伝するために過去の偉大な学者の名前を自分の理論につける」という現象を指しているのかと思っていましたが、実際のところは「他人の成果の一般化をしただけの人が発見者を僭称する」ということを批判するためにこういう話が出てきたようです。弁解すると、私の実感では前者に比べて後者の例は非常に少ないように思うのですが、いずれにせよ誤りは誤りなのでここに訂正させていただきます。

*1:直観的に言うと、「最近起こったことだけをもとに次のことが予測できる」という性質。

*2:後記:この引用には問題がありました。「追々記」をご参照下さい。

*3:上記日本文は、リンク先の英語版からの拙訳。

*4:ところで、この類推で行くと、化学者であるマーガレット・サッチャー氏やアンゲラ・メルケル氏はいったいどういう人格であるということになるのだろうか。

*5:曖昧な言葉だが、工学を含む広義の自然科学を示すよい用語が見あたらないので敢えてこの言葉を用いる。

*6:こういう言葉を見ると脊髄反射的にジェンダーが云々と揚げ足をとりたくなる、文脈の読めない「金槌を持つとすべての物が釘に見える」ような種類の人は「女心」を「人の心」と読み替えていただきたい。

*7:と思ったが、ここまで書いて自信がなくなってきた。血液型占いと同様に、この連載のような「理系本質主義」を本気で信じている人も、案外多いのかもしれない。

*8:ちなみに、この項の題に「語り得ないことには沈黙しなければならない」を引用するのが誤っていると気づいた方は正解である。まさにこの引用こそが、このヴィトゲンシュタインの一節の誤った引用をもって戒められるべき表現の典型例なのである。

*9:ネットの世界ではどういうわけか、ブログ記事をアップロード後に書き換えると「改竄」と呼ばれる傾向があるようだが、私にはその理由がまったく理解できないし、殊に内容に影響しない表現の訂正を取消線などで残しておく必要などまるで感じない。よって、このような訂正については今後とも一々断らない。

馬鹿って言ったら自分が馬鹿なんだよー

余りにも下らないブックマークコメントを見つけたので反応。

b:id:Cunliffe まだ書いてたのかこの馬鹿。 2010/04/02
はてなブックマーク - もう許してあげようかな - 吾輩は馬鹿である

今までも数少ない低レベルな「批判」*1は散々浴びてきたが、単に「馬鹿」と言って終わりというのははじめてだ。これまでも「豚」だの「人間ではない」だの、実に某国家社会主義労働者党を彷彿とさせるような品性高尚なご批判を頂戴してきたりはしたが、少なくともそういうことをの給う方々であってさえ、その前にまず一応、反論とご当人では認識されているであろうものを試みる程度の礼儀は持ち合わせていたわけだが、このid:Cunliffeというお方にはそれすらないようだ。

このお方が以前「トリアージ」について何を言われているかを検索したところ、

b:id:Cunliffe 「人間は自分が悪であると思うことに苦痛を覚える生き物である」だからウンターメンシュと言ってみたり優生学に凝ったりトリアージしたり労働意欲を欠いていると言ってみたり…愚行は果てしなく。 2010/03/01
はてなブックマーク - 恨と忘却「戦場でワルツを」 - 深町秋生の序二段日記

というのだから実に傑作としか言いようがない。トリアージナチスを紛れもなく混同しているわけである。その程度の認識で私を「馬鹿」と呼ばれるわけだから、私も偉くなったものである。

既に何度も書いていることだが、この件はそもそもそんな大げさな話ではないのである。元の話は、「全体最適と局所最適は一致しないことがある」という非常に初歩的な話題について、その一例として「災害救急に置けるトリアージは、生存者数の最大化を指標とした最適化を指向した戦略と解釈できる」というものを挙げたに過ぎず、どこにも紛糾する点はないのである。少なくともホロコーストなどというおどろおどろしい例を持ち出されてまで糾弾される話ではどこにもないし、あるいは逆に「ナチス的価値観を指標とすればホロコースト全体最適と解釈できる」などと鬼の首を取ったように言われても「何を当たり前のことを」としか言いようがない*2。道具を悪用すれば時として凶器にもなり得るなどというのは、自分の頭で少しでも考えることができる人間ならば誰でもわかることで、偉大なるインテリ様方のご託宣を待つまでもない。それだけのことだ。

そのような単純きわまりない話すら理解できないお方に「馬鹿」呼ばわりされるとは、いやはや恐れ入ったとしか言いようがない。

追記

b:id:Apeman バカがゴミトラバ送りやがって 2010/04/10
はてなブックマーク - 馬鹿って言ったら自分が馬鹿なんだよー - 吾輩は馬鹿である

よろしい、ゴミで結構だ。しかしそれだったら、他人をナチスにこじつけてまで誹謗中傷の限りを尽くしたあなたは何なのだ。ゴミは無価値なだけだが、あなたの書いているものは有害だ。
そもそも、あなたは南京事件をはじめ、戦争責任問題など得意分野に絞ればそれなりに信頼のあるものを書けるのに、どうしてそうしないのだ。半可通がそれなりに知識の蓄積のある分野に軽率に口を出せばひどいことになるというのは、東浩紀氏の例を見るまでもなく、あなたは十分に見知っているはずだ。だからこそあなたがこの「トリアージ騒動」でやったことには一切の言い訳は通用しない。この件に関する限り、あなたはタダのデマゴーグだ。恥を知るがいい。

*1:批判と呼ぶに値する程度のものかはさておき。

*2:何度も書いたように、これは反論にも何もなっていない。「調理器具には包丁というものがある」という話をしている人の横で「包丁は人を殺すのにも使える」と言い出すようなものだ。

もう許してあげようかな

トリアージホロコースト」どころか「イルカ猟はホロコースト」なんて暴言を吐いて、それがアカデミー賞を取ったりしてしまう世の中なんだから、この程度で目くじらを立ててしまう私がそもそも寛容性がないのかもね。

佐藤優氏の「知の欺瞞」

本ブログは「トリアージ騒動」専門というのが本来の趣旨であるが、元々私が「トリアージ騒動」にこだわる理由は、俗流の自称「人文系」をはじめとするたちによる実学の専門領域への侵略が世に罷り通っており、しかもそういう言説をものする人たちが「知の巨人」と扱われている*1ことに我慢がならなかったからである。それと同様の問題意識として、佐藤優氏が鳩山総理の学者時代の論文を読み解いたと称して垂れ流している言説にも私はずっと何かを言ってやりたかったのだが、ちょうどhttp://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-5faa.htmlという話題提起があったので、便乗して書かせてもらうことにする。

結論から言うと、佐藤氏の数学理解は極めてお粗末なものであるし、それを割り引いてもそのようなことから鳩山氏の思想を読み解くことなど到底できはしないし、無意味である。そのことを以下、説明していこう。

佐藤優氏の「偏微分方程式」理解

まず、佐藤優氏がなぜ鳩山氏の過去の研究に着目したかという動機がこれである。以下、特に断らない限り引用文献は全てhttp://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-5faa.htmlからの孫引きであり、佐藤優氏の発言である。

人間は二〇歳くらいの経験――ゲバ棒をふるっていたとか、ガールハントをしていたとか――から、本質的なところはあまり変わらない。鳩山氏はその頃何をしていたか。偏微分方程式ばかり解いていた。

そして佐藤優氏による「偏微分方程式」理解はこのようなものである。

だから偏微分方程式、つまり変数がいくつもあって区間区間で変化する未知の関数を含んだ方程式を解いていく。変数がx1、x2……xnといっぱいあるとき、他の変数を固定しxiだけの関数と見て微細な変化を調べていく(偏微分する)という操作をするから、答えが一義的に定まらず、何となくこのへんとしかわからない。

全く何を言っているのか訳が分からない、というのが正直なところだ。「……という操作をするから、答えが一義的に定まらず」という理路がまるで見えない。というよりも端的に言ってでたらめである。
たとえば、太鼓のような打楽器を考えてもらいたい。この太鼓を叩いたときどのような音がするかということは、太鼓の形と膜の材質や周囲の気圧や温度、そして叩き方といった条件だけで全てが決まってくる。そしてこの膜の運動は「波動方程式」と呼ばれる形の偏微分方程式で記述されるのだ。
もし、この方程式の解が一意でなかったら(佐藤氏の言い方ならば「答えが一義的に」定まらなければ)、太鼓を叩いてもどのような音がするかが前もって分かりようがないということである。これでは打楽器奏者は失業である。
そうでないとするならば、太鼓の音を予測するための物理法則には未解明の部分があると佐藤氏は主張していることになる。そればかりではない。電磁気学であろうと量子力学であろうと、マックスウェル方程式やシュレーディンガー方程式とよばれる偏微分方程式で記述される理論なのであるから、これらは全て不完全な理論であると言ってしまっているのと同じことだ。何とも恐るべきことだ*2
偏微分」は決して難しい概念ではなく、高校数学に毛の生えた程度のものであり、理系の大学1年生ならば誰もが習うものである。佐藤氏がこの程度にしか「偏微分」を理解していないとなれば、「力」と「エネルギー」の区別ができていない立花隆*3も真っ青である。

鳩山氏の論文を全く読めていない佐藤氏

このような素晴らしい数学理解を見せてくれた佐藤優氏だが、「マルコフ性」に対する理解は意外にもそれほど的外れではない。

実は今回、鳩山さんが英語で書いた学術論文を読んでみて、ビックリしました。まず英語が見事な上に、論文内容も素晴らしい。政治家になるまで腰掛で学者をしていたのではなく、間違いなく本物の学者でした。その論文のテーマは、ロシアの数学者、アンドレイ・マルコフが唱えた「マルコフ保全理論」の研究でした。(略)非常に複雑な概念ですが、ざっくり言うと、「ある事象はその直前の出来事に左右されるのであって、過去には左右されない」という理論。これを偏微分を駆使しながら数理的に実証する論文なのです。

確かに「ある事象はその直前の出来事に左右されるのであって、過去には左右されない」は「マルコフ性」の直観的な説明として間違いではない。

しかしながら、佐藤氏が鳩山氏の論文をまるで読めていないことは余りにも明白だ。おそらく問題の論文とはCiNii 論文 -  MARKOV MAINTENANCE MODELS WITH CONTROL OF QUEUEのことであろうが、PDF ファイルをダウンロードして最初と最後を読んでみればすぐにわかるように、「マルコフ保全理論」を提唱したのはマルコフ自身ではない*4。この理論の提唱者は鳩山氏自身がhttp://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0001520837&lang=jaで書いているようにダービンという人である。そしてこの論文は、既存の理論を鳩山氏が拡張し、それに関する性質をいくつか導いているものなのだ。どこにも実例に基づいた「実証」などは見られない。これは本文を読まずに摘要(abstract)を眺めるだけでもわかることなのだが。

ちなみに、鳩山氏の手になる上記文献中には、少なくとも斜め読みした限りでは偏微分は一切出てこない*5

数学教育は思想教育?

しかしそんなことはどうでもよいのである。むしろ問題は佐藤氏が、鳩山氏の過去の研究から同氏の思考回路が読み取れるとしていることだ。

手嶋 鳩山総理を理解するのには、「足して二で割る自民党政治」ではなく、「偏微分関数による『マルコフ保全理論』のインテリジェンス」を理解することが必要だ、ということですか。
佐藤 そうです。事実、鳩山総理自身、「私はブレていない」と真顔で記者に答えていましたし、理系の人にありがちな「目的関数を理解できない人には、何を言っても始まらない」といった感覚があったのかもしれません。

「マルコフ保全理論」に偏微分方程式が出てきそうもないことはさておくとして、まず、「マルコフ保全理論」自体は意志決定の全てを説明する理論などではない。むしろ話は逆で、「マルコフ保全理論」は他のオペレーションズ・リサーチの理論と同様、現実を非常に単純化して、その範囲内で物事を近似的に説明していこうという試みなのである。それは「マルコフ性」が我々の目から見ていかにもナイーブに見えることからも明らかであろうし、そして何より鳩山氏自身がhttp://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0001520837&lang=jaなどという題で書いた記事自体、このモデルは複雑な状況(具体的には機械系設備)においては無力ではないかという批判があることを受け、どのように理論と実践の橋渡しをしていくかという課題を述べているものだ。無論、これ以後この分野の研究も発展したであろうし、私自身この分野の専門家ではないからその研究動向を細かく観察しているわけではないが、しかしながら政治の場のような複雑きわまりない状況に普遍的に適用できるようなモデルなどというものは未だ存在していないことだけは間違いない。
言い換えれば、「マルコフ保全理論」などという特定の分野の思考が鳩山氏の思考自体に影響を与えているとは極めて考えにくい。むしろ、鳩山氏がこうした研究活動から得たものがあるとすれば、モデル即ち図式的な理解と現実がどの程度合致しどの程度乖離するか、あるいは局所最適と全体最適の違いを知っていること*6といった感覚的なものにすぎないはずで、それらはいずれもオペレーションズ・リサーチの分野に深入りせずとも知りうるはずのことだ。

いずれにせよ、これらの佐藤氏の発言は非常に失礼なものといってよい。つまり、鳩山氏はナイーブなモデルの研究をしてきたのだから、ナイーブにしか物事を考えられないと言っているようなものである。これでは、「トリアージ騒動」のときに「経営学者は人を切り捨てることしか考えていない」という思いこみを捨てられず、福耳(id:fuku33)氏を「人民の敵」扱いした人たちとまるで変わらない。

こういう訳の分からない自称「人文系」的な言説が跋扈するからこそ、理系人間はいつまでも迷惑を被ることになるのである。冗談半分で「理系クン」と珍獣扱いされている分にはまだ害がないが、人のことを「頭の中が数学に置き換わっちゃった」だの何だのと本気で侮辱するような人がインテリ扱いされたりするのだから自称「人文系」の俗流インテリとはなんとも恐ろしい人たちである*7

*1:最も呆れかえる例が立花隆である。同氏は著書「東大生はバカになったか」の中などで、文系理系の相互無関心を批判し、たとえば「文系」の人が「熱力学第二法則」を知らないことを批判しているのだが、同氏自身高校程度の物理学をも理解していないことは明白である。

*2:事態はむしろ逆で、物理法則が偏微分方程式で記述されるという事情から想像できる通り、「まとも」な条件の下では「まとも」な偏微分方程式(の境界値問題)には解が一意に存在するのである。

*3:同氏は「電脳進化論」の中でF=ma=mv2/2という驚くべき式を書いている。これは単なる誤りなどというものではなく、同氏が「力」と「エネルギー」という、物理学で最も基本的な概念の区別が付いていないことを暴露しているのである。そんな同氏が、さらに複雑な概念である「エントロピー」に関わる「熱力学第二法則」をまともに理解できているはずがない。

*4:数理科学の通例として、人名が付いている理論や概念の提唱者はほとんどの場合その人本人ではない。

*5:これは当たり前である。元々こうした時系列の問題を考える上で問題になるのは、普通は「偏微分方程式」よりもむしろ「(確率)微分方程式」であり、佐藤氏が「偏微分」を持ち出してきた意図がまるで不明なのである。そしてこの「マルコフ保全理論」に至っては、そもそも「微分」自体が出てこない離散的なモデルである。仮に「偏微分」が出てきたとしてもおそらく本筋とは離れたところである。「偏微分」を強調すること自体佐藤氏の筋の悪さの証明であるといえよう。

*6:トリアージ騒動で福耳氏を罵倒していた側に最も欠けていたものである。トリアージ自体を「切り捨て」と非難していた人たちはまさに、目の前の手遅れの人を看取るためには助かるかもしれない人を見殺しにしても構わないと自分が言っていたことに気づいていなかったようだ。言うまでもなく、この主張は控えめに言っても「トリアージ」よりも不穏当であろう。

*7:というとまた皮肉の理解できない「たましいのあり方が悪い」人たちがやってくるのかもしれないが。

疑問にお答えしよう

id:norton3rd なんじゃ?こりゃ トリアージの悪口を言ったりトリアージナチスなんぞという妄言を吐く人って見たことがないんですが??? 2009/12/25
はてなブックマーク - 静かに騒げ、黙って叫べ - 吾輩は馬鹿である

この記事でその疑問は解消されたことと思う。その他、トリアージナチスを混同している人の例は論ずるに値しない議論 - 吾輩は馬鹿であるとか坊主ではない、袈裟ですらない - 吾輩は馬鹿であるなどの記事に示したように、いくらでも見つかる。

トリアージ自体を全否定している人の中でも一番下らないのはこのあたりであろう。

id:snobbishinsomniac 馬鹿はやっぱり馬鹿のまま。何を取り繕おうとトリアージは切り捨てにほかならない。それを分かろうとしないのは馬鹿でしかない。 2009/09/07
はてなブックマーク - 猿も木から落ちる - 吾輩は馬鹿である