佐藤優氏の「知の欺瞞」

本ブログは「トリアージ騒動」専門というのが本来の趣旨であるが、元々私が「トリアージ騒動」にこだわる理由は、俗流の自称「人文系」をはじめとするたちによる実学の専門領域への侵略が世に罷り通っており、しかもそういう言説をものする人たちが「知の巨人」と扱われている*1ことに我慢がならなかったからである。それと同様の問題意識として、佐藤優氏が鳩山総理の学者時代の論文を読み解いたと称して垂れ流している言説にも私はずっと何かを言ってやりたかったのだが、ちょうどhttp://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-5faa.htmlという話題提起があったので、便乗して書かせてもらうことにする。

結論から言うと、佐藤氏の数学理解は極めてお粗末なものであるし、それを割り引いてもそのようなことから鳩山氏の思想を読み解くことなど到底できはしないし、無意味である。そのことを以下、説明していこう。

佐藤優氏の「偏微分方程式」理解

まず、佐藤優氏がなぜ鳩山氏の過去の研究に着目したかという動機がこれである。以下、特に断らない限り引用文献は全てhttp://a-gemini.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-5faa.htmlからの孫引きであり、佐藤優氏の発言である。

人間は二〇歳くらいの経験――ゲバ棒をふるっていたとか、ガールハントをしていたとか――から、本質的なところはあまり変わらない。鳩山氏はその頃何をしていたか。偏微分方程式ばかり解いていた。

そして佐藤優氏による「偏微分方程式」理解はこのようなものである。

だから偏微分方程式、つまり変数がいくつもあって区間区間で変化する未知の関数を含んだ方程式を解いていく。変数がx1、x2……xnといっぱいあるとき、他の変数を固定しxiだけの関数と見て微細な変化を調べていく(偏微分する)という操作をするから、答えが一義的に定まらず、何となくこのへんとしかわからない。

全く何を言っているのか訳が分からない、というのが正直なところだ。「……という操作をするから、答えが一義的に定まらず」という理路がまるで見えない。というよりも端的に言ってでたらめである。
たとえば、太鼓のような打楽器を考えてもらいたい。この太鼓を叩いたときどのような音がするかということは、太鼓の形と膜の材質や周囲の気圧や温度、そして叩き方といった条件だけで全てが決まってくる。そしてこの膜の運動は「波動方程式」と呼ばれる形の偏微分方程式で記述されるのだ。
もし、この方程式の解が一意でなかったら(佐藤氏の言い方ならば「答えが一義的に」定まらなければ)、太鼓を叩いてもどのような音がするかが前もって分かりようがないということである。これでは打楽器奏者は失業である。
そうでないとするならば、太鼓の音を予測するための物理法則には未解明の部分があると佐藤氏は主張していることになる。そればかりではない。電磁気学であろうと量子力学であろうと、マックスウェル方程式やシュレーディンガー方程式とよばれる偏微分方程式で記述される理論なのであるから、これらは全て不完全な理論であると言ってしまっているのと同じことだ。何とも恐るべきことだ*2
偏微分」は決して難しい概念ではなく、高校数学に毛の生えた程度のものであり、理系の大学1年生ならば誰もが習うものである。佐藤氏がこの程度にしか「偏微分」を理解していないとなれば、「力」と「エネルギー」の区別ができていない立花隆*3も真っ青である。

鳩山氏の論文を全く読めていない佐藤氏

このような素晴らしい数学理解を見せてくれた佐藤優氏だが、「マルコフ性」に対する理解は意外にもそれほど的外れではない。

実は今回、鳩山さんが英語で書いた学術論文を読んでみて、ビックリしました。まず英語が見事な上に、論文内容も素晴らしい。政治家になるまで腰掛で学者をしていたのではなく、間違いなく本物の学者でした。その論文のテーマは、ロシアの数学者、アンドレイ・マルコフが唱えた「マルコフ保全理論」の研究でした。(略)非常に複雑な概念ですが、ざっくり言うと、「ある事象はその直前の出来事に左右されるのであって、過去には左右されない」という理論。これを偏微分を駆使しながら数理的に実証する論文なのです。

確かに「ある事象はその直前の出来事に左右されるのであって、過去には左右されない」は「マルコフ性」の直観的な説明として間違いではない。

しかしながら、佐藤氏が鳩山氏の論文をまるで読めていないことは余りにも明白だ。おそらく問題の論文とはCiNii 論文 -  MARKOV MAINTENANCE MODELS WITH CONTROL OF QUEUEのことであろうが、PDF ファイルをダウンロードして最初と最後を読んでみればすぐにわかるように、「マルコフ保全理論」を提唱したのはマルコフ自身ではない*4。この理論の提唱者は鳩山氏自身がhttp://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0001520837&lang=jaで書いているようにダービンという人である。そしてこの論文は、既存の理論を鳩山氏が拡張し、それに関する性質をいくつか導いているものなのだ。どこにも実例に基づいた「実証」などは見られない。これは本文を読まずに摘要(abstract)を眺めるだけでもわかることなのだが。

ちなみに、鳩山氏の手になる上記文献中には、少なくとも斜め読みした限りでは偏微分は一切出てこない*5

数学教育は思想教育?

しかしそんなことはどうでもよいのである。むしろ問題は佐藤氏が、鳩山氏の過去の研究から同氏の思考回路が読み取れるとしていることだ。

手嶋 鳩山総理を理解するのには、「足して二で割る自民党政治」ではなく、「偏微分関数による『マルコフ保全理論』のインテリジェンス」を理解することが必要だ、ということですか。
佐藤 そうです。事実、鳩山総理自身、「私はブレていない」と真顔で記者に答えていましたし、理系の人にありがちな「目的関数を理解できない人には、何を言っても始まらない」といった感覚があったのかもしれません。

「マルコフ保全理論」に偏微分方程式が出てきそうもないことはさておくとして、まず、「マルコフ保全理論」自体は意志決定の全てを説明する理論などではない。むしろ話は逆で、「マルコフ保全理論」は他のオペレーションズ・リサーチの理論と同様、現実を非常に単純化して、その範囲内で物事を近似的に説明していこうという試みなのである。それは「マルコフ性」が我々の目から見ていかにもナイーブに見えることからも明らかであろうし、そして何より鳩山氏自身がhttp://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0001520837&lang=jaなどという題で書いた記事自体、このモデルは複雑な状況(具体的には機械系設備)においては無力ではないかという批判があることを受け、どのように理論と実践の橋渡しをしていくかという課題を述べているものだ。無論、これ以後この分野の研究も発展したであろうし、私自身この分野の専門家ではないからその研究動向を細かく観察しているわけではないが、しかしながら政治の場のような複雑きわまりない状況に普遍的に適用できるようなモデルなどというものは未だ存在していないことだけは間違いない。
言い換えれば、「マルコフ保全理論」などという特定の分野の思考が鳩山氏の思考自体に影響を与えているとは極めて考えにくい。むしろ、鳩山氏がこうした研究活動から得たものがあるとすれば、モデル即ち図式的な理解と現実がどの程度合致しどの程度乖離するか、あるいは局所最適と全体最適の違いを知っていること*6といった感覚的なものにすぎないはずで、それらはいずれもオペレーションズ・リサーチの分野に深入りせずとも知りうるはずのことだ。

いずれにせよ、これらの佐藤氏の発言は非常に失礼なものといってよい。つまり、鳩山氏はナイーブなモデルの研究をしてきたのだから、ナイーブにしか物事を考えられないと言っているようなものである。これでは、「トリアージ騒動」のときに「経営学者は人を切り捨てることしか考えていない」という思いこみを捨てられず、福耳(id:fuku33)氏を「人民の敵」扱いした人たちとまるで変わらない。

こういう訳の分からない自称「人文系」的な言説が跋扈するからこそ、理系人間はいつまでも迷惑を被ることになるのである。冗談半分で「理系クン」と珍獣扱いされている分にはまだ害がないが、人のことを「頭の中が数学に置き換わっちゃった」だの何だのと本気で侮辱するような人がインテリ扱いされたりするのだから自称「人文系」の俗流インテリとはなんとも恐ろしい人たちである*7

*1:最も呆れかえる例が立花隆である。同氏は著書「東大生はバカになったか」の中などで、文系理系の相互無関心を批判し、たとえば「文系」の人が「熱力学第二法則」を知らないことを批判しているのだが、同氏自身高校程度の物理学をも理解していないことは明白である。

*2:事態はむしろ逆で、物理法則が偏微分方程式で記述されるという事情から想像できる通り、「まとも」な条件の下では「まとも」な偏微分方程式(の境界値問題)には解が一意に存在するのである。

*3:同氏は「電脳進化論」の中でF=ma=mv2/2という驚くべき式を書いている。これは単なる誤りなどというものではなく、同氏が「力」と「エネルギー」という、物理学で最も基本的な概念の区別が付いていないことを暴露しているのである。そんな同氏が、さらに複雑な概念である「エントロピー」に関わる「熱力学第二法則」をまともに理解できているはずがない。

*4:数理科学の通例として、人名が付いている理論や概念の提唱者はほとんどの場合その人本人ではない。

*5:これは当たり前である。元々こうした時系列の問題を考える上で問題になるのは、普通は「偏微分方程式」よりもむしろ「(確率)微分方程式」であり、佐藤氏が「偏微分」を持ち出してきた意図がまるで不明なのである。そしてこの「マルコフ保全理論」に至っては、そもそも「微分」自体が出てこない離散的なモデルである。仮に「偏微分」が出てきたとしてもおそらく本筋とは離れたところである。「偏微分」を強調すること自体佐藤氏の筋の悪さの証明であるといえよう。

*6:トリアージ騒動で福耳氏を罵倒していた側に最も欠けていたものである。トリアージ自体を「切り捨て」と非難していた人たちはまさに、目の前の手遅れの人を看取るためには助かるかもしれない人を見殺しにしても構わないと自分が言っていたことに気づいていなかったようだ。言うまでもなく、この主張は控えめに言っても「トリアージ」よりも不穏当であろう。

*7:というとまた皮肉の理解できない「たましいのあり方が悪い」人たちがやってくるのかもしれないが。