STAP細胞の件に関して少しだけ

私は生物学については高校レベルの知識も怪しいので特に言及する気はなかったのだが、一部で言及されたのでそれにのみ応答しておく。

哲学的な発想や芸術的な感想は自由に研究へ活かせばよろしい

b:id:kurahito ソーカリアン突撃はよ>「哲学的な発想や芸術的な観察を自由に研究へ生かせます」

はてなブックマーク - 【万能細胞】STAP細胞作製の成功の小保方さんにRikejoが過去に取材していました! | 理系女子応援サービス Rikejo [リケジョ]

なぜ私が「突撃」しなければならないのかわからない。私は、当該分野の人間に馴染みのない議論でハッタリをかますとか、他分野の専門用語や基礎知識をろくに理解しようともせずいちゃもんを付けるといった動きを批判したまでであり、個々の人間がどういうところから着想を得ようとそんなことは知ったことではない。

小保方氏が自身の論文に向けられた批判について「哲学」や「芸術」の用語を振りかざして詭弁を弄したとかいうことがあるのならばともかく、そんなことでもないのに何を「突撃」せよというのか理解できない。

勝手に殺さんとってえな

b:id:tokoroten999 今はなきAntiSepticニキやSokalianニキのこと思い出した

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140316205332

あなたは最初の頃からトンチンカンな絡み方ばかりしてくれていたが、この言及元の匿名ダイアリー記事と私の意見が重なるところは殆どない。逆に、どのあたりが重なると思ったのか教えて頂きたい。

言及先の匿名ダイアリー記事で同意できるのは

fuka_fuka 一貫して「小保方博士」って呼んでいることにまず好感が持てる記事。素人にも意義がわかりやすく説明されてる。 2014/01/31


このコメントに多くのはてなスターが付いている。STAP細胞のことなんかよりも名称を気にする素人だから、まんまと騙されたと。ちなみに、男の研究者でも普通に「さん」と言われてきたし。田中耕一の時には結婚報道とかもされて、小保方晴子の時より業績に関係のない報道ばかりだったが。

はてブがSTAP細胞のデマ拡散 シノドスの記事も

繰り返すが、小保方晴子が女性だから業績に関係のない報道をされたわけではない。田中耕一の時の結婚報道、年齢を強調しておっさんが普通に通勤とか、癒し系とか関係のない報道ばかりだった。小保方晴子が女性を強調だって?田中耕一のおっさんを強調した報道よりは、かなり抑え目だな。小保方晴子女性差別報道とか言ってるのは、田中耕一の時の報道を全く知らないのか?おっさんへの報道のほうが、もっとグイグイ突っ込んで報道している。

はてブがSTAP細胞のデマ拡散 シノドスの記事も

この二箇所のみである。何でもかんでも欧米では云々とかジェンダーが云々とか牽強付会して日本の風潮を叩いておけば意識の高いインテリゲンちゃん、みたいな風潮は本当に馬鹿馬鹿しいと思うし*1、特に後者については小保方氏を含む理研側が自ら売り出したとの情報が出だした今となっては噴飯物でしかないのだからなにをかいわんやであるが、それにしても前者の「博士」と呼べ、というのはよくわからない。私の知る限りこの種の言説の出所はhttp://wirelesswire.jp/london_wave/201401310211.htmlくらいしかないのであるが、このような思いつき程度の文章がいつの間にか一人歩きして都市伝説化していったのは実に気持ち悪い。アンネの日記破壊犯をネオナチだの排外主義者だのと大騒ぎした挙句、結局のところ責任能力を疑われるような人物であった件も含め、国会議事堂が炎上したのはアカとユダヤの陰謀だと言われれば簡単に支持してしまいそうな人たちがなんとも多いことである。

末は博士か佐村河内か

ともあれ、今回の件では小保方氏にだけやたらと「博士」をつける記事がやたらと目立ち、鼻についてしょうがない。若山氏をはじめとする共同研究者や、理研理事長の野依氏など、この件で出てくる他の人たちに「博士」がつけられた一般報道など見た記憶がないのだが。それほど神聖ニシテ侵スヘカラサルはずの小保方氏の博士号が危機に瀕しているというのは笑い事ではないが、皮肉と言わざるを得ない帰結だ。

ともあれ、どういった理由で小保方氏は「博士」と呼ぶことこそが正しいということになったののかまったく理解できないのだが、一つだけ思い当たることがあるとすれば英語で "Dr." は "Mr." や "Ms." などと同列の肩書きになっていることから、「世界」では全てそうだと早合点したのだろうか。だがお生憎様、日本語の尊称のシステムは英語とは全然違うのである。手紙の宛名で「○○博士」と送ることはあり得ないし、人に呼びかけるときに「博士」などと使うのはお茶の水博士と水道橋博士ぐらいであろう。日本ではこういうとき、所属機関での肩書きを使って「教授」などとするか、それが居心地悪ければ単に「先生」とするのが慣例だ。実際、研究者同士が呼び合うとき「先生」か「さん」以外の呼称が使われた例を私は見たことがないし、そもそも「博士」という肩書きにこだわるという権威主義めいた姿勢がすでに研究者らしからぬ話だ。

何が何でも「博士」と呼ばれなければ気が済まないというと、出典は忘れてしまったが、ゲッベルスが何が何でも自分を "Herr Doktor Goebbels" と呼ばせたがっていたという話を思い出して失笑してしまうのは私だけだろうか。自分であろうと他人であろうと「博士」などという呼称にこだわる小人物ぶりは何とも情けない話にしか見えない。

なお、"Herr Doktor" は直訳すれば「博士様」である。韓国語でも「先生」は単独の尊称にはならず「先生様」のようになるのが通例だと聞く。文化的に近い言語同士でも尊称のシステムにはこのように差があるのに、どうして日本語で「博士」という尊称が一般的でないことは批判されるべきこと、などという話が簡単に信じられてしまうのだろう?

*1:揚げ足を取る頭のよろしいお方は相変わらず多いのであろうから敢えて言っておくが、欧米が日本より進んでいる面や、日本の社会において性差による種々の障壁があることはあたりまえである。そういうことは当然批判されるべきである。しかし、ただでさえ感情的反撥を買いやすいそういった批判が説得力を持つためには、きちんと事実と根拠が示されることが大前提である。今回の件は到底そういった議論がなされていたとは思えない。