「エア御用」と逆の側に「取り返しのつかない事態」を煽る危険はないのか

原発絡みの話題は余り書きたくないのだが、先日話題を集めたid:logic_master氏の記事http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111113/1321202736だが、なされて然るべきと思われる反論が出ていない*1ので触れておくことにする。

一般論としては正しいが

悪意がないにもかかわらず、科学的にも適切な行動・発言を行っているにもかかわらず、事態の悪化に手を貸してしまうことは歴史的に見てありえない話ではないのです。いえ、むしろ、私は、科学者の科学者として振舞いには、ある種の事態を悪化させる構造的な問題点が存在しているのではないかと疑っています。

http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111113/1321202736

前半は価値判断を含まない事実の話であり、正しいといってよい。後半も好意的に解釈すれば少なくとも自明に誤りとはいえない。「科学者の科学者として*2振舞い」が事態の悪化を未然に防いだことの方が、かえって悪化を招いたことよりも比較にならないほど多い*3ことを前提とした上で、少数の見落としに構造的要因がないかどうかを考えることは決して無益な営みではないからだ。

だが問題は、今回の事態で「エア御用」と呼ばれた人達の言動にそのような「事態の悪化に手を貸してしまう」蓋然性があったかどうかである。

「事態の悪化」の方向性には二つある

こういうと、反論がすぐ返ってくるであろう。「低線量被曝の影響については確かなことはわかっていない*4わけで、それならば危険性をことさらに小さく言うのはまさにリスクを無視した行動ではないか」と。

ところが、この反論は二重に誤っている。まず「低線量被曝の影響については確かなことはわかっていない」というのは、言い方を変えれば「統計的検出限界以下」、平たく言えば「あったとしても、あるのかないのかわからない程度の影響しかない」ということである。確かなことがわかっていないからといって、あらゆることが起こりうると考えるのは全くの間違いである

そして、リスクを避けるためには、例えば避難といった手段をとることとなるが、転居がうつ病の誘因となるように、これがまたリスク皆無な行動ではないことも忘れてはならない。実際、チェルノブイリにおいては

避難した妊婦から生まれた子どもは、言葉の障害、情緒障害、社会適応性の障害を持つ子が、避難していない妊婦から産まれた子どもに比べて多く、知能指数も低いという結果になりました。
ところが、母親の被曝量と子どもの知能指数を比べると、放射線が原因であれば被曝量の多い方が知能指数は低くなるはずなのですが、そういう結果はみられませんでした。(略)次に、母親、父親の不安やストレスと子どもの情緒障害の関係を調べたのですが、これははっきりと、親の不安が強いと、子どもの情緒障害の頻度が高まることがわかりました。避難した母親から生まれた子どもの情緒障害は約20%にも上り、事故後10年たっても半数以上の母親、3割以上の父親が不安、慢性的なストレスをかかえていました。

小児科医・浦島充佳さんインタビュー全文(3)「原発事故の罠」にはまりつつある日本 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

こうした指摘もある状況で、放射線被曝の危険を強めに主張して避難を呼びかけることが「事態の悪化」に繋がらないとは決して言えまい。ではなぜ「エア御用」という罵倒は避難を呼びかける側にばかり集中し、その反対側には来ないのか?蓋然性を言うならば後者の方がずっとリスクが高いと思えてならないのだが。

またこの視点から見れば、「民衆の敵*5扱いされている山下俊一氏の、一部で非難の的となっている

放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます。でも、その笑いを学問的に、科学的に説明しうるだけの情報の提供がいま非常に少ないんです。

2011年3月21日14時- 山下俊一氏・高村昇氏「放射線と私たちの健康との関係」講演会(前半) | 記者会見全文の文字起こしを掲載致します

という発言などはまさに、科学者が科学者として禁欲的に振る舞うだけではなく、主観も交えて踏み込んだ発言をすることで、未然にリスクを抑止した行動の見本として賞賛されるべきではないのだろうか?どうして山下氏は悪魔のごとく罵倒されなければならないのだろうか?

結局は政治的バイアスでしょう

要するに、「エア御用」という言葉を使っている人は、自分たちの先入観にある図式に従って、人間を善と悪に二分しているだけである。そして今回の件においては、枝野官房長官(当時)の「直ちに影響がない」という発言が曲解されたことに象徴されるように、「悪」とは「原子力村」、噛み砕いて言えば「政府と大企業」という古典的な図式なのだ。曲がりなりにも中道左派政党が政権を握っている現在において、このような冷戦期の遺物のような世界観はあまりにも古色蒼然といえはしないだろうか?

私がたびたび出入りするとある駅前では、某革新政党がよく「大企業にばかり儲けさせるな、税金をもっと搾り取れ」という調子のビラを配っているのだが、滑稽なのはその駅の付近には複数の「大企業」の事業所があり、乗降客のほとんどはそれら「大企業」の社員であることだ。おそらく、この人たちは自分が一体なにをやっているのか気づいていないのだろう。「善」である「労働者」と「悪」である「大企業」の立場を兼ね備えた人間の存在に気づかないようなお粗末な想像力と人間観。「エア御用」を非難して喜んでいる連中というのは結局その程度の幼稚な輩なのである。

*1:id:ublftbo氏の造語の必要性がない - Interdisciplinaryという記事はあるが、私とは視点が幾分ことなる。

*2:原文ママ

*3:たとえば各種ワクチンの強制接種のことを考えてみるとよい。これも「科学と政治の結託による暴力」と呼べなくもないし、実際にそう主張する者もいるが、接種を受ける方が個人としても集団としてもリスクを劇的に低減させることは明らかである。

*4:ついでに述べておくと、私の理解が誤りでないならばこれは閾値なし仮説が否定されていないというだけではなく、その逆のホルミシス仮説も顧慮の余地がないわけではないことをも意味する。「エア御用」という言葉に理解を示す人たちには、ホルミシスを持ち出すとトンデモ扱いする傾向が見受けられるので念のため注意を喚起しておく。

*5:言うまでもなくこの言葉はイプセンの同盟の戯曲を念頭においている。この戯曲ではもっぱら科学的な正しさに準じた主人公の人物像が語られることが多いが、世論に阿るマスコミや、容易に煽動される「堅実でリベラルな多数派」が主人公の糾弾の的となっていることにはもっと注意が向けられるべきではないだろうか。私は山下氏の立たされた立場こそ、この話の主人公のそれにそっくりだと思うのである。