「エア御用」こそが「専門家を監視する非専門家」である

ここ連日の件の関連で、目に付いた記事http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031があるので俎上に挙げさせていただく。なお、同種の発言が数限りなくあるなかでこの記事を取り上げた理由は、

  • 記事著者id:letterdust氏がこの件関連で私に揶揄的に言及していること
  • 同記事が福島第一原発事故以降のある層の典型的な反応を要領よく要約していること
  • 本ブログ開設以来同氏は私を継続的に批判しているが、執拗に人格攻撃をされた記憶はなく、建設的に議論に応じていただけると期待できること*1

という程度の理由であり、他意はないことをあらかじめお断りしておく。

「エア御用」は専門家ではない

id:pollyannaさんのところで違和感を感じた「違和感」についてと、「エア御用wiki」を巡る〈科学者不信〉−−科学不信ではない−−について取り上げてみたい。
違和感で一番最初に感じたことは「あれ?非専門家が専門家を暴走しないように監視するって普通じゃね?」というのが法学部政治学科卒業30歳の感想。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

あなたより半年と若くないと思われる応用数学専攻の私から見ても、あなたの言っていることは正しいように思う。ただし、「一般論としては」だ。たとえばこのあたりを見る限り、あなたは「敵を間違えている」としか言いようがない。
完全に誤解されていると思うが、原発業界御用学者リスト @ ウィキ - アットウィキで名指しされている人たちを「エア御用」と呼ぶとすると、私の知る限りこの中に挙げられている研究者は誰一人として原子力工学の専門家ではない。なぜか「物理学者」が非難されているようだが、物理学と原子力工学倫理学と刑法学ぐらい違うものだ*2。しかも、その多くは脱原発派であることを公言している。この人達はまさに「非専門家が専門家を暴走しないように監視する」という行為を行い、その傍らでトンデモ排除を行っているだけなのだ。このことは賞賛されるべきことでこそあれ、非難になど値しようはずがない。この人達がトンデモを積極的に排除しなかったとすれば、「在特会を非難しない保守派」と同様に自浄能力がないとみなされて当然であろう。その意味で、逆にあなたの

科学技術をはじめとする権力(実際には意識していないかもしれませんがそれは人を強制させる実行力です)をもつわたしは、現状によって恩恵を受けている。そのわたしが考える「善」は現状維持派にとって都合のよいものであるというバイアスを意識するのにこのたびの「エア御用」という言葉は言いえて妙であるなあと関心したのでした。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

という発言は、たとえば朝鮮学校を攻撃する在特会を批判した保守派を「北朝鮮を利する裏切り的行為だ」などと断罪するのと同じことだと気づいているだろうか?
繰り返す。「エア御用」は原発推進派の回し者であるどころか、合理的論拠に立った批判をぶつけてくるという意味で一番厄介な相手なのである。その意味では「エア御用」こそが、原発推進派からも敬意を払われていたという高木仁三郎氏の遺志を受け継いだ人たちであるといえるのではないか?

誰が権力者なのか?真の「敵」と戦えるのは誰か?

言いたいことのほとんどは前段で終わりであるが、蛇足としてこの件に関して私が感じていたことを二、三述べておくことにする。

上の引用部でid:letterdust氏は科学技術を「権力」と述べた。その判断は今は措こう。しかし、自然科学に基づく科学技術が「権力」であるならば、社会科学・人文科学に基づく批判も同様に「権力」であるはずだ。

ところがあなたや、あなたが引用する平川秀幸氏をはじめ、科学(者)不信を語る人たちは

平川氏が指摘するのはタイトルにもつながるに「誰のためにその科学技術を行使するのか」が常に問われているということ。しかして、その問いの困難さは「誰」がどこまで含まれるか、またその彼/彼女の善は誰がきめるのかという当事者性をめぐる政治の問題なのです。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

という行動原理を満たしているだろうか?私には極めて疑問だ。例えば原子力工学界の大御所である石川迪夫氏に対してはトンデモでない批判がほとんどぶつけられない一方で、事故以前から原子力に批判的だった菊池誠氏などばかりをあなた達は批判する。それは原発推進派を利することではないのか?石川氏などは自ら原子力の危険性とその対策について語った原子炉の暴走―臨界事故で何が起きたかなどという本を出している。一般向けの入門書の体裁であり、はっきり言って本気で「非専門家」として脱原発を目指すならば「敵を知る」上で必読である。これを読めば「原発推進派」はあなた達が思っている以上の強敵であり、「安全神話」などの紋切り型の原発推進派批判がまるで役に立たないことがよくわかる。この本の前にはネット上の低レベルな反原発議論は跡形もなく吹き飛ばされてしまう上に、「悲劇の科学者」としてもてはやされている小出裕章氏ら*3やなどの「専門家」*4などは「味方」として何の役にも立たないという厳しい現実を認識せざるを得ないはずだ。

本当に原発推進派を論破したいのならば石川氏あたりと正面から論争するようなことから逃げてはいけないはずだが、わざわざ「敵」の大ボスがこうやって自ら非専門家の土俵に下りてきているにもかかわらず、この書については題名すらネット上で見かけたことがない。どうして本物の「原発推進派」と戦おうとしないのか?また、せっかく一般人よりも基礎知識を持った人材が反原発陣営にいるにもかかわらず、なぜそういう人たちを「エア御用」と煙たがって切り捨ててしまうのか?

結局、本当の「敵」と戦うよりも内ゲバが優先なのか、と思わざるを得ないのだ。

全体最適」は敵に非ず

もう一つ、本ブログのテーマでありまた私の専門性に直結することとしてここはどうしても看過できない。

それは誰かをひき殺した上での全体最適に立つ「公共性」ではないのか?
また、それは誰にとって最適なのか?

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

誤解であって欲しいのだが、よもや未だ「全体最適」は個を圧殺する全体主義の論理だと誤解したままではおられまいな。こんな混乱した二文が並んでいるのを見る限り、寒心に堪えないのだが、杞憂であって欲しいものだ。

念のため指摘しておく。ことが「全体最適」である以上、「誰にとって最適なのか」という問いへの答えは「全体」に決まっている。問うとするならば「どういう意味で」全体最適か、だ。「最適」というのは「ある価値基準を前提とした上で最もすぐれた解」という意味であるから、あらまほしき状態は常に何らかの意味で「全体最適」なのである。無論、ここでの「価値基準」には「個々人が理不尽な不利益を受けぬこと」という制約を設けることさえもできるし、「国全体のGDPが増えれば貧富の差が拡大しても構わない」というようなものだけが「全体主義」のあり方だと思っているとすればそれは全くもって典型的かつ初歩的な誤謬である。

その意味で「公共性」が「全体最適」の上に立っている「べき」であることはむしろ同語反復的でさえある。その点だけは誤解しないでもらいたい。

そしてまた、「全体最適」か否かは「善」か否かの価値判断を意味するものでもないことを再度強調しておく。例えば、

  • 事故の損害や環境問題は一切度外視してエネルギー安定供給だけを念頭に原子力と火力を最大限に推進する
  • CO2排出量を最小化するために事故や公害の被害は度外視して原子力再生可能エネルギーを同時に推進する
  • 経済を維持しつつ放射線被曝を最小化するために即時脱原発し、地球温暖化を度外視して火力発電に全力回帰する
  • CO2削減と放射線被曝抑止だけをめざし、あらゆる副作用を度外視して火力・原子力ともに即時全廃する

これらの極端な結論はいずれも何らかの意味では「全体最適」な解であるのだ。そしてもちろんこれら四者の中庸にある解も、また全く判断基準を異にする解も、別の意味で「全体最適」であり得る。

全体最適」という言葉に囚われるのは全く無意味なことだということは何度でも強調させてもらいたい。

追記:ブックマークにお返事

本記事に付いたブックマークコメントにお返事する。

b:id:unyounyo id:Sokalian定義のエア御用は狭い専門家も原子力村も十分に監視してへんよな。 2011/10/12

十分やないと思うなら自分でやったらええだけやと思うがな。欠けとる点が見えとるからそない言うんやろ?だったら自分で補わはったらええやん。
あんたが反原発派やと仮定して言うけれど、「原子力村」なんてもんがほんまにあるなら知恵を出し合うていかはらへんことには反原発派が勝てる見込みなんて到底ないで。逆に敵さんが「狭い専門家」なら広い分野の知識を集めれば向こうに勝てる見込みは高まるはずやな。いずれにしてもボランティアでやってくれてはる人を責めるんは筋違いやろ。
それと、私は「エア御用」なんて言葉、定義した覚えないからな。本家本元の記述をそのまま引っ張ってきただけやから。私はそもそも「エア御用」なんてもんが存在すると思ってへんし。そこのところは一応断っとく。

*1:こんなことは「当たり前」のことなのだが、「はてなサヨク」の中では稀有と言わねばならないのが全く悲しいことだ。

*2:個人的には、今回の件で最も非難されるべきは原子力工学者よりも東京電力の経営者や原子力安全・保安院の官僚であると思うが、そのことはひとまず措いておく。

*3:実際はその名は完全に虚像である。査読論文を書いていない、つまり仕事をしていないのだから昇進できるはずがないのだ。むしろ解雇されないのが不思議なくらいである。詳細はhttp://www.yasushi-studio.com/tweet/2011/05/post-2252.htmlに譲るが、学位を取ってもポストに就けない人が溢れかえっている昨今、こういう「給料泥棒」かつ「税金泥棒」の存在が許されてよいのか私は非常に疑問である。

*4:ユダヤ陰謀論者温暖化CO2原因説否定論者広瀬隆氏などに至っては「専門家」ですらないが。