原発や南京大虐殺が紛糾するのはまごうかたなき「客観的事実」である
原発や放射線被曝をめぐってはあまりにも低レベルのトンデモ発言や科学者、ことに物理学者への筋違いな八つ当たり*1や山下俊一・福島県立医大副学長へのガリレオ裁判を彷彿とさせる個人攻撃といった「反原発無罪」とも言うべき風潮を見るにつけ、本当にうんざりさせられていた*2。敗戦後とはいえ、ナチスなどというトンデモ集団がドイツという大国を掌握し得たことには長年理解できない思いがあったのだが、残念ながらそういうことがあり得ると体で理解できた思いである。とはいうものの、大抵のトンデモ言説には私よりも余程詳しい方々が的確な批判をその都度加えているので、出る幕ではないと静観を決め込んでいた。
だが、最近「はてな」界隈で起こった下らない喧嘩に関しては、馬鹿馬鹿しすぎるためか誰も口出しする気がないようだ。とはいえ、善意の人が誹謗されて終わるのを見過ごすには忍びないので、一言口出ししておくことにする。
事の発端
事の発端は一方の当事者であるid:Apeman氏に自ら語って頂くこととする。
しかし看過しがたいのは、この「「御用学者Wiki」についてのやりとり」の当事者の1人でもある片瀬久美子氏の次のようなツイートである。
(https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/119645296681693184)
微修正 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ [日本版]:原発、クジラ問題、南京大虐殺
(https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/119647218243350528)ここで挙げられている3つの「テーマ」のすべてにおいて、日本政府が論争の一方の側にコミットしている――コミットの度合いや仕方は問題により、また時期により違っているにしても――ことは、これらの問題について最低限の知識を持っている人間にとってはいまさら説明する必要もないことであろう。この3つの「テーマ」の共通点はそれだけではない。「ちょっとでも触れると紛糾してしまう」に類する揶揄まじりの評価がこれらの問題にコミットしない理由として頻繁に利用されてきたこと。同時に、日本社会における研究者集団がその社会的責任をきちんと果たしていれば少なくとも現在のようなかたちでの「紛糾」などは生じなかったはずであること、がそれである。想定可能であったはずの事故の想定を封印し、科学的な意義の希薄な調査捕鯨を放置し、否定しようがない大虐殺の存在を否定する大学人が存在することを許してきた責任は誰よりも日本の研究者集団が負うべきものである。公権力と研究者との関係が問われている文脈において、こうした責任を無視するかのような発言は看過することができない。
「御用学者Wiki」的なものを生む背景について - apesnotmonkeysの日記
ここまでであれば、賛否は別として一つの意見と片付けることもできなくはない*3。しかし、コメント欄に目を移すと途端に雲行きが怪しくなる。
apesnotmonkeys 2011/10/03 15:35
b:id:fnorder 論争, 社会, 科学, 原発 「紛糾」は客観的事実でしょう。それに、片瀬さんは逃げていない。放射線関係で発言真っ最中。 2011/10/03
http://b.hatena.ne.jp/fnorder/20111003#bookmark-61506786存在論的には「紛糾」は「客観的事実」なんかじゃありませんよ。その「紛糾」なるものを生み出し支えている要因の一つが、まさに「ちょっと触れると紛糾」云々と語る研究者たちの存在なんですから。
「御用学者Wiki」的なものを生む背景について - apesnotmonkeysの日記
何を言っているのかまったく意味がわからない。しかしメタブックマークへのコメントで同氏の意図は明らかになる。
b:id:Apeman 「「紛糾」は客観的事実」! 2011/10/03
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b:id:a-lex666 たとえば南京大虐殺の「紛糾」が客観的事実に見えるなら、虐殺否定派は大成功してるといえるでしょうねぇ(溜息/進化論も「紛糾してるのは客観的事実」というのかな? 2011/10/03
言わずと知れたことだが、曲解も甚だしいと言わねばなるまい。
あなた自身「紛糾」と向き合ってきたのではないのか
これを見る限りid:Apeman氏は、片瀬久美子(@kumikokatase)氏が「紛糾」と言った意味を「議論の余地があり異論百出」といった意味で捉えているとしか思えない。そうでなければこれらの発言の意味がまるで理解できないからだ。
勿論、これが下司の勘繰りであることは言うまでもない。ネット上で「原発、クジラ問題、南京大虐殺」の問題を出せば事実としてネット右翼やネット左翼に絡まれて低レベルなトンデモ罵倒をぶつけられる、というのは否定しようのない事実だ*4。そのことはあなた自身身を以て経験してきたはずである。あなたが巻き込まれた事態を「紛糾」と呼んで悪いとするなら一体それはなぜなのだ。単なるあなたの言葉の好み以上の理由がなにかあるのか。
その限りの意味においてこれは歴史修正主義に宥和的な態度だとも、はたまた修正主義者と闘ってきた人たちへの揶揄だともいえない。実際、そして片瀬氏は原発問題で自らその火中の栗を拾っている。歴史修正主義という別の「トンデモ」と闘う人たちに共感を間接的に示していると読むのが普通だろう。
それをどうしてid:Apeman氏や片瀬氏のtwitter発言へのブックマークコメント(その1、その2、その3)で同氏を批判しているid:tari-G, id:Cunliffe, id:logic_master, id:sivad, id:tei_wa1421, id:felis_azuri, id:Fondriest, id:dj19, id:t_kei, id:zu2, id:toshiyam, id:BigHopeClasicらの各氏らは悪い方に、悪い方に解釈するのだろうか。あなたたちは片瀬氏に何か恨みでもあるのだろうか。
原発それ自体や、それを巡る科学者の言説を批判すること自体は自由だ。だが、訳のわからないことに難癖を付けて相手を貶めるのはただのヤクザの因縁と何も変わらない。