静かに騒げ、黙って叫べ

ここにも「トリアージ」の意味の歪曲がやめられない人がいるようだ。

id:Apeman id:NOV1975 市長への擁護論とあわせて発言を読めば「平時にトリアージを持ち込む」ロジックになってることは明白。なのに、そうしたことがらについて問題意識を欠いた人間がいるよね、ということ 2009/12/24
はてなブックマーク - はてなブックマーク - 論ずるに値しない議論 - 吾輩は馬鹿である

何度も述べたように、福耳氏の「トリアージ」の話は「災害時」が前提になっており、その中で完結している。これは「最適性」を論じているという文脈上明らかなことなのだ。「最適性」というのは「可能な選択肢の中では一番マシである」ということなのだから、そもそもタグを使った選別が可能な選択肢として入ってこない平時のことなど、最初から話題の中に入っていないのである。

そもそも「平時のトリアージ」など形容矛盾である。なぜ災害時にはトリアージが必要かというと医療資源が不足していて、しかも「急患を除き先着順」という通常の原則が役に立たない*1からであればこそだ。平時にはトリアージは不要であり不適切であり、「可能な選択肢」に入っても来なければ「マシ」でもあり得ないのだ。

つまり、福耳氏が「平時のトリアージ」などという話をした、というのは最初から下種の勘繰り以外の何物でもないのだ。福耳氏の話からは一切、「平時のトリアージ」が念頭にあったと読み取れる証拠はないからだ。そういう、ありもしない邪推をしてしまうのは、最初から「経営学」というものを「人を切り捨てる学問」だという偏見謬見で見ている、つまり「たましいのあり方」が間違っているか、災害時の話として完結しているはずの「トリアージ」の話とデパート経営の話の区別ができないほど「国語の成績が悪い」か、そのどちらか一方または両方ということになるのであろう。少なくともあなたのお仲間の言ったことを踏まえればそうなる。

*1:死傷者は事実上同時に出ているので「先着」概念が成り立たないし、「急患」の数が多すぎて、「急患」の中でもさらに優先順位を付けなければ助かる人を見殺しにすることになる。