論ずるに値しない議論

度重なる暴言と暴挙で世の注目を集めている鹿児島県阿久根市竹原信一市長が、ついに極め付けの暴言を吐いた。

講演では障害者に関する記述について「差別と言われるが、ああいう視点は私にはわからない」と批判を無視。自らの死生観に触れ、「みなさんもいずれ死ぬ。植物を考えればわかる。葉っぱや花が散って土壌になる。私たちは葉っぱ、枝」などと表現。その上で「社会は木を育てるようにしないといけない。木の枝の先が腐れば切り落とす。全体として活力のある状態にする」などと語った。
障害のある子どもの世話の大変さにも触れながら、「社会をつくることは命の部分に踏み込まないとダメ。表現として厳しいが、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死(えし)した足は切り取らないと。情緒で社会をつくることはできない」とも語った。
http://www.asahi.com/national/update/1221/SEB200912210037.html

論評の価値もない暴言である。T4作戦 - Wikipediaを引くまでもなく、これこそまさにナチズムである。竹原氏は即刻辞職し、障害者およびユダヤ人をはじめとするナチス犠牲者に土下座して罪を謝すべきであることは言うまでもない。

きれいはきたない、きたないはきれい

ところがあろうことか、このはてなにはまことに理解に苦しむ人々が存在する。人権派を標榜する人たちが、あまつさえこのような殺人思想を、災害時に一人でも多くの人を救うために行われるトリアージと同一視しているのである。

id:kyo_ju トリアージ 「それを『戦略性』とでもいうのでしょうか?」と誰かこの市長に言ってあげれば? 2009/12/22
id:a-lex666 MakeRoom!MakeRoom! トリアージの「正しい」誤用例。「かわいそう」だけでは何にもならないデスよ。ってか。 2009/12/22
id:hokusyu 全体最適はナチ ←シャレじゃない 2009/12/22
id:Apeman いつ「トリアージ」って言い出しても不思議じゃないな 2009/12/22
id:letterdust 空耳トリアージ 2009/12/22
id:hit-and-run 「表現として厳しいが刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」「木の枝の先くされば切り落とす。そうしないといけない。全体として活力ある状態に」これは間違いなく福耳ケーキ。 2009/12/21
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者巡り講演で - 社会

id:hokusyu 空耳ケーキ この市長もトリアージのたとえを使って説明していれば、もっと擁護が増えたかもしれないのに。/すでに、勝手に限界状況を設定して恣意的な選別をあたかも苦渋の決断のように語ってる人がいるし。 2009/12/22
はてなブックマーク - はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者巡り講演で - 社会

「国語の成績が悪い」などと下らないことを言ってお茶を濁すだけではすまされない。凄惨を極める災害現場で奮闘する人たちや、福耳ことid:fuku33氏をナチスと誹謗し、冒涜の限りを尽くす暴言の極みである。とても阿久根市長を笑えたものではない。

トリアージナチスは何が違うか

なんでこのような馬鹿馬鹿しいことを何度も何度も説明させられるのかもはや理解を超越しているが、http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127に端を発する一連の「トリアージ騒動」をご存じない方が福耳氏に誤った悪印象を持ってはいけないので*1、再度問題点を整理しておく。無論、馬鹿馬鹿しいまでに当たり前のことしか述べるつもりはないので、

「人を救う」ことを目的とした上での「合理」性を指向したトリアージと、人命を軽視して人種差別的優生思想の具現化を「合理」的に指向したナチスは目的からして正反対であり、似ても似つかぬものである

であるということ、もっと噛み砕いて言えば

形が似ているからと言って、月とスッポンは同じものではない

という当然すぎる事実を踏まえていただいた上で、以下の関連記事を紹介しておくにとどめる。

猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解 - 吾輩は馬鹿である
藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿である
「論法の同型性」論法の危うさ - 吾輩は馬鹿である

だいたい上記三記事を上から順に読んでいただいて、当たり前のことしか言っていないと感じられた時点で読むのを止めていただければそれで十分である*2

これだけで既におわかりの方は読み飛ばして次節に行って頂ければよいのだが、これでも話が抽象的すぎてわかりにくければ、災害現場の例に即してもっと考えてみればよい。

災害現場でのトリアージは、どう転んでも生きている人間をわざわざ手を下して殺すことはあり得ない。もとよりどう転んでも全員を助けることができない、災害現場のように一刻を争う極限状況という前提下では、「手遅れの重傷者を看取ることをあきらめる」ことは「助かるかもしれない人間の手当を後回しにして見殺しにしてしまう」ことの前では*3、まだ許される選択である、という話にすぎない。

これに対して、阿久根市長の発言は、障害者を育てることは社会を腐らせるなどという、おおよそ根拠薄弱であり喫緊でも不可避でもなんでもない認識をもとにしている*4。外形上同型の論法に沿っているように見えようが見えまいが、その論法の前提や妥当性が雲泥の差なのであるから、この両者に類似を見出す方がよほどどうかしているということだ。

いずれにせよ、上記引用したコメントのような、福耳氏の上記記事は今回の阿久根市長発言をも肯定してしまう論理を内包している、などという話はまるであり得ないことは容易に理解いただけるはずである。

自称「国語の成績がいい」人たちへ

以上のごとく、阿久根市長発言とトリアージを関連づけた人たちは単に常識的、一般的な範囲での読解力が乏しいどころではなく、他者の尊厳に対する敬意というものそれ自体を欠いていると言わざるを得ない。まさに阿久根市長と共通の病理というべきであろう。

こういう人たちがなすべきことについて、過去に道をお示しになられた方がおられる。誰あろう、かのid:hokusyu氏である。

人によって「常識」が違うのはいいんです。
ある問題についての「常識」がある人が、別の問題についてはそうでない。というのは当然あります。
何がいいたいかというと、ある文章を読解するときに、必要な知識や国語の成績の基準、というのは実はないんじゃないか、ということです。
少なくとも、(略)一連の文章を読めてる人も読めてない人もいますが、読めてる人は読めてない人にたいして(失礼ながら)知識や国語の成績において優位にある、とはいえないのではないでしょうか。読めてない人が読めるようにするためには、(略)もっと前提知識の記述や平易な文章を心がける、ということでは、ほとんど何も解決しない気がします。たぶんもっとも有効なのは、読めてない人たちがたましいのあり方を変えることです。ほとんど期待できないでしょうが。
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私はこの文章に全面賛成するものではないし、特に「国語の成績」という噴飯ものの尺度を持ち出す前に「国語教育」の政治性に対してもう少し自覚的であって欲しい*5とは思うが、何しろご自身ないしはそのお仲間が発言されたことである。
「たましいのあり方を変える」、ぜひともこれを率先して自ら実行してもらいたいものである。

追記:ブックマークコメントに返信

id:Apeman わかる気がない奴には何をどう何度言っても無駄、の見本 2009/12/23

それがご自身のことだとすれば、実に適切な自己認識だと思います。早く「たましいのあり方」を変えて「わかる気」を出してください。

id:letterdust あの先生は緊急医療の講師だったのか、それは失礼した。 2009/12/23

あのですね、何度も言ったと思いますが緊急医療の専門家でなければ緊急医療について語ってはいけないなんて話はないでしょう。たとえば「メジャーリーグの数理科学」なんて本がありますけど、これを書いた人が野球選手だとでもお思いですか。問題のある側面について適切な知識を持っていれば、それについて語ることに何の問題もないはずです。そしてその「側面」から正しく福耳氏を批判できた人はどこにもいませんでした。なぜなら批判側の人は誰一人その「側面」をまともに理解できておらず、言葉尻に振り回されていたからです。

*1:もはや、ホロコーストを持ち出してまでトリアージを否定した「あたまのよい」方々には私は何も期待していない。

*2:ただし、物好きな方は帰謬法ならぬ帰ナチ法はいいかげんにやめてはどうか - 吾輩は馬鹿である匿名ダイアリー氏の批判に答える - 吾輩は馬鹿であるReductio ad Hitlerum - Wikipediaなどをさらに読まれると面白いかもしれない

*3:災害現場に限るとは言えない。たとえば新型インフルエンザワクチンで持病のある人や子供や妊婦が優先され、成年層が後回しにされたのも、資源が稀少な状況では倫理基準が変質することがあることを示す好例である。

*4:言うまでもないことだが、むしろ、障害者を切り捨てることこそが社会を腐らせるのである。こんなことを書く必要はないと思うが、「下種の勘繰り」をする人間が余りにも多いのがこの「はてな」である。

*5:これを書いたid:hokusyu氏の政治的立ち位置を考えるなら尚更である。