ミイラ取りがミイラになった一例

とあるところで、「自然主義の誤謬*1に関する論争を見かけた。その話題については関知しないが*2、それに対して「事実と当為を混同してはならない」と反駁している人を見かけた。その反駁は、議論の中での妥当性についてはなんとも言えないが、単独では正しいことである。しかしその後がいけない。

トリアージ」の拡大解釈が医師から批判されたように、「利己的遺伝子」にしろ「霊長類学」にしろ特定の現象を説明するモデルに過ぎないことを「レトリック」でお気軽に本職の人は使わないと思うのですが。ていうかそれ唯物論じゃありませんよね。
http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20090916/

これでは「ミイラ取りがミイラ」である。

モデルと具体例を混同するなかれ

これを書いたid:letterdust氏は、昨年夏のトリアージ論争華やかなりし頃にid:ohkami3を名乗っていた人だと思うのだが、相も変わらずわかって頂けていないとなると残念である*3
同氏の用語法を使えば、トリアージ」は「モデル」ではなく「特定の現象」である。従って、「トリアージ」がたまたまある場面で適切*4であったとしても、トリアージ」のアナロジーで説明できるものは一般的に妥当であるなどとは誰も言っていないのである。
これは何度も述べてきたことであり、このことが理解されていないために福耳氏は*5不当な批判や誹謗中傷を受け続けているのである。

既に説明したことを引用

どうしてこれほど口を酸っぱくして説明しても、一向に理解される見込みがないのか不思議で仕方ないが、過去の説明を辛抱強く引用してみることとする*6

ある問題への対処において、ある選択肢が「最適」であるとは、

  1. その場の状況に応じた制約をクリアできるもの中で、
  2. その場の状況に応じた評価基準を最も強く満たすもの

を指す。

ここで注意しなければならないことがある。「最適」概念の定義は、「状況に応じた制約」「状況に応じた評価基準」が何であるかとは全く独立に定められているということだ。
藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿である

即ち、あるものを無前提に「最適」であるかそうでないか、とは言えないのである。この件に即して言えば、救急救命の場を離れたトリアージが最適である、とは誰も言っていない。
猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解 - 吾輩は馬鹿である

トリアージは「有限の医療資源」の「配分」を

  1. 「絶対的に医療資源が不足しているところでは」という制約のもとで、
  2. 「犠牲者数を最小化する」という評価基準(合目的性)に基づいて

行動するための手法である。「最適」性の例としてきわめて明快であり、そしてこの「最適」性は、上記制約および上記評価基準を前提として成立するのであり、従って経営学トリアージが適用される」という批判は、そもそも字義からして理解不能であることもおわかり頂けるだろう。
藁人形と戦う前に「最適」の意味を理解せよ - 吾輩は馬鹿である

従って、誰も「トリアージ」を拡大解釈などしていないし、仮にその「拡大解釈」が批判されたのだとすればそれは単なる誤解でしかあり得ない、ということである。

*1:自然主義的誤謬 - Wikipediaなどを参照。

*2:論争の一方の側の当事者が、まともに論理を理解もできないくせに高圧的にものを言う人であったり、あるいは人を侮辱する言葉をあまりにも安易に発するような人の道に悖る人であったりすることも理由の一つ。

*3:ただ、この人は暴言はあまり吐かなかった。その意味で、『「はてサできゃっふきゃっふ」クラスタ』という自称には当てはまらないと思っている。

*4:念のため述べておくが、これは「(全体)最適」の同義語ではまったくない。倫理的な妥当性などを指している。

*5:私も、と言いたいところだが。

*6:強調は引用者。なお、脚注へのリンクを取り除いた。