で、トリアージ批判は一般人に理解可能なの?不可能なの?

お断り

本記事は、匿名ダイアリーに
http://anond.hatelabo.jp/20080813144152
に記入した記事をほぼそのまま転載したものである。

本文

こちらの増田です。元記事はid:sk-44氏への反論ということで書いたわけですが、丁寧なお返事を頂いたのでそちらを中心に。こちらの方は「トリアージ批判は誰にでも理解できる」という立場とお見受けするので、それを前提に。
以下引用元:論じられた残りのもの(政策としてのトリアージ) - 地を這う難破船

第一に、ホロコーストチェルノブイリではありません。任意の政策とその貫徹の問題です。第二に、少なくともドラッカーの議論は価値判断を倫理的なそれも含めて前提するのでその意味では(たとえば工学のような)学問ではありません。「倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学」ではない、したがって経営学ナチスではまったくない、ということは各方面で再三指摘されており私も再三記してきました。第三に、そもそもが、ナチスの提示した最適解とは大いに価値判断含みでした。その大いに価値判断を含んだ最適解とは何であったか。

「第一」については、そういうことを言ったわけではありません。ホロコーストチェルノブイリという二つの悲劇を並べたわけではありません。危険性のあるものについて、危険性の質を問わずに問題視することに反論したものです。
「第二」については、経営学にも色々な立場があるということです。ドラッカーの議論については私は無知なのでおいておくとして、少なくとも件の講義で福耳先生が説いたのは「制約条件の中で最適化を行う」という発想についてです。これは純粋に数理的な手法なので、価値判断は含みません。そして、その例としてトリアージを出したことが不適当と言われているのですが、例えば核物理学の講義で核分裂連鎖反応の話を例示として出したとき、これは「核兵器という不適切な例を用いた」といって批判されなければならないのでしょうか?
「第三」について、また、問題をこのように数理的なモデルに落とし込む段階では、現実をモデル化する際に何らかの価値判断が入ってくるというのはもちろんおっしゃる通り。しかし、これは「道具の使い方」の問題であって「道具自体」の問題ではありません。包丁を熟練職人が使えば、芸術的な料理の腕を振るうこともできるし、殺人鬼が使えば惨劇が起こる。そして、トリアージというのは「できるだけ多くの人を救う」という目的なのだから、ホロコーストと同列だとするならば、正反対の極にあると言うべきものです。少なくとも、「最も多くの人間を助ける」ことを目的としたモデル化に倫理的な問題があるとは私には思えません。

他者性なき一般論に倫理的な問題が存することと学問上の前提とは関係がない。前者を指摘することは後者に顧慮しないことではまったくない。優生学の問題とは、他者性なき一般論を学問を偽装して倫理的な問題を捨象して説くところにあります。

確かにトリアージは「他者性なき一般論」でしょう。しかし、それはトリアージに限ったことでもないし、ある種の状況においては「他者性なき一般論」を用いる以外公平性を担保する適切な方法がないのも実情です。
事実、私は「他者性なき一般論」のよい例をいくつもあげることができます。例えば、年齢のみを基準とした義務教育や普通選挙。万人に平等な基本的人権法治主義。こうした概念は「他者性なき一般論」であるからこそ、成功をおさめたものです。
まさかこれらのものにホロコーストと同様の問題があるとはおっしゃいますまい。だとすれば、トリアージの件にホロコーストを持ち出したid:hokusyu氏に疑問を覚えてしまうのです。
そもそも、この種の「問題の構造に着目する」という議論は注意しないと危険なことになります。先ほども挙げたように、「お前は人間である、ヒットラーも人間である、よってお前とヒットラーには共通性がある」というような暴言を正当化してしまうことになるからで、そして今回の件は限りなくこれに近い状況だと私は考えています。「問題の構造に着目する」場合は、「構造」だけから言えることに着目するような禁欲的な態度こそが必要ではないでしょうか。話の筋が似ているからと言って糞もミソもナチスと同列に論じられてしまうのでは、それこそ「他者性なき一般論」ではないでしょうか。

「本当の悪は「事実記述と価値判断の混同」」ではありません。「本当の悪」であるかはわかりません、が、本件の要点は「事実を事実と提示することの価値判断」にあります。

その論点はこの種の話でよく持ち出されるものですが、これについてもある種の慎重さが必要とされるところだと思います。実際、「地球は動く」だの「人間は猿の親戚である」だのと「事実を事実と提示」したことの価値判断に伴って何が起こったか(そして、現代にいたっても欧米の一部で何が起こっているか)はあなたもご承知だと思います。

ブコメ

id:mic1849 anond, ethics, pseudoscience, science, medicine, politics 「ナチドクター」が「医学的トリアージによる殺人」「と呼んでもよい種類の」「選別」(リンク先143頁)を行っていた事例をどのようにお考えになります?→http://ci.nii.ac.jp/naid/110004798330/|何故「未完成な学」なのですか

前半の質問は、上に書いたことで答えになっているかと思います。宅間守が包丁を凶器に使ったことについて包丁職人が(あるいは料理人が)コメントを求められても答える必要はないし、むしろ怒ってよいでしょう。
後半については、もし経営学が「完成された」学問であるならば、あらゆる組織を最も適切に運営する方法が既に知られているということになるはずで、そして現実はそうなっていないからです。