お説はごもっとも、しかし瀕死の重傷者を救わねばなりません

お断り

本記事は、匿名ダイアリーに
http://anond.hatelabo.jp/20080813012003
に記入した記事を、リンク先を除いてそのまま転載したものである。

本文

トリアージ騒動が理解できないと書いた増田です。ブクマでは大分批判を頂いたようですが、私が以前から尊敬していた方々複数が根拠を示さずに印象操作だけを行っていることに至極がっかりしました。
そのことはさておくとしても、トリアージ批判陣営の「説明」を読んでもやっぱり理解できないという結論に至りました。そのことを報告させて頂きましょう。

「理解できない」の意味

誤解されたくないので断っておきますが、「理解できない」というのは「理解を拒んでいる」という意味ではありません。「あなたたちが何を前提に語っているかわからないから、あなた達の論理をトレースできない」ということです。要するに、暗に「あなたたちは自明でもなんでもないことを勝手に前提にしている」ということ。これをちょっとわかって頂きたいですね。
あたまがわるい」といわれればそうかも知れないですが、「あたまがわるい」というからには、あなた達のような人文系の知識が豊富でない人間でも理解できて然るべき、という前提が含まれていると私は解釈します。であるならば、あなた方の前提を十分に説明して頂きたいものですね。

経営学が倫理を説明できないといけない?

さて、それで、こちらの批判。

経営というものは価値判断や倫理と無関係にいられないので、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学だとするならば、そんなものは経営の学としてダメもいいところだと思うけどな。

私は経営学者じゃないので現実の経営学の関心の方向性は正確には存じませんが(それはあなた方も同じでしょうからここに批判を向けないで頂きたく存じます)、仮に「倫理的な前提を度外視して最適解を求める」のが経営学だとしても、それが「ダメもいいところ」だとは全く思いませんね。
なぜかって?現在の経営学は未だ未完成だからです。未完成なものに「未完成な部分がある」と言っても、それはないものねだりだからです。仮に、この引用部が以下の通りだったらどうでしょう。

工学というものは価値判断や倫理と無関係にいられないので、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが工学だとするならば、そんなものは学問としてダメもいいところだと思うけどな。

主旨としては同じことだと思います。そして、そのような価値観をお持ちになるのは勝手かと存じますが、価値判断や倫理の問題を学問的に整備してから先に進むなどという高踏的なことをやっていては、それこそ救えるはずの命が救えないことも多くあるはずです。そういうわけで、そういう小難しい議論は申し訳ないが人文系の方々に丸投げさせて頂いて、私は自分の道を先に進ませて頂くこととします。
世の中には役割分担ということがございますので、そうやっても決して「あたまがわるい」などと心ない言葉を浴びせられる筋合いはないと私は確信いたします。

「記憶にございません」とおっしゃるのは勝手ですが

さて、次はこちら。ブクマによると「いくら待っても説明してくれないので自分で説明した」ということなので、これを読めば私のような「あたまのわるい」輩でも、「トリアージ」批判派の方々のご主張が理解できるというご意図だと考えてよいかと思います。

これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

このように書いておいて「経営学ナチスではない」と強弁するのならばおよそ他人の失言(?)をとがめ立てする資格があるとは私には思えませんが、それは単なる私の主観なのでさておくとしても、

トリアージナチスであるとは全く主張していないし、現実の医療におけるトリアージそのものも問題にはしていませんが、ただトリアージという概念はいくつかの危険を持っていると言っていて、それはたとえば3番目に示したようなホモ-サケルの問題であったり、生-権力の問題であったりするわけです。そしてこのような問題を説明するためにはナチスホロコーストが一つの重要な事例として現れてくるのはもちろん自明です。

申し訳ありませんが、全然「自明」ではありません。まず「3番目」が何の順番かもわからないし、「ホモ-サケル」などというおおよそ一般的でない用語を注釈なしに使われていることからもこのことは明らかです。しかし、あなたのダイアリーを検索させて頂くと、一つだけ記事が見あたりました。そこから今回の件との関係で最も主要と思われる箇所を引用させて頂きます。

いったい、トリアージされる人々とは何だろうか。彼らはまだ「生きている」が、死のプロセスの中に置かれている。それはアガンベンがいうところの「定めることができず区切ることができない絶対的な生政治的実態」に他ならない。彼らはただ「生きているのみ」に切り詰められた人間である。アガンベンはそれをホモ・サケル<聖なる人間>と呼ぶ。「生きているのみ」というのはつまり「死んではいない」ということで、レヴィナスの言葉で言えばそれは「非-人間」であり、過剰な剰余によって特徴付けられている。ゆえに<回教徒>はホモ・サケルとして姿をあらわすのだ。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080529/p1

申し訳ありませんが、そのようなご高説が災害時の問題を考える際にどのように役に立つのか私にはまったく「理解できません」。

もちろん、物資輸送は自衛隊である必然性は無い。自衛隊派遣に単なる人道問題以上の政治的な含みがあると考えるのはごく当然であろう。にも関わらず、そしてそもそも援助自体に反対してないにも関わらず、少しでも自衛隊の派遣という事態を問題化した瞬間、とにかく人道問題なんだ教条主義だと声高に批判される理由は?
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080529/p1

この話は「トリアージ」問題と地続きだと思いますが、そのような反対をすることで人命救助の障害となることはあっても、資するところは一つもないと思いますが、いかがでしょうか。「白い猫であろうと黒い猫であろうと、ネズミを捕る猫が良い猫」で何が悪いのか私には「理解できません」。
そして何より重要なことは、これらの件がどのように「ホロコースト」と「トリアージ」の重要な繋がりを示しているのか、私には一切見えてこないということなのです。私にはこれらの記述は、本質的でない共通点を議論のための議論の材料として指摘したようにしか見えません。このような指摘が許されるならば、「hokusyu氏は人間である、ヒットラーも人間である、ゆえにhokusyu氏とヒットラーには密接な関連がある」というような指摘も許されることでしょう。しかし、そのような言説が中傷以外の何物でもないことは敢えて論じるまでもないことです。

というわけで、ぼくの問題意識を理解していただけるのならば(共有しろとは言わないが)、ナチスを持ち出したのはまったく飛躍でも場違いでもないわけです。

以上に示した通り、あなたの問題意識は私には理解不可能と申し上げるしかありません。有り体に申し上げて、あなたのご高説は、大地震で死んでいる人を目の前にして、「この断層は犠牲者を呑み込むためにあった」などと分析している曲学阿世の徒と何が違うのか私には全く理解できないのです。
最大限好意的に解釈しても、あなたがたはこの件に関して「説明不足」であると言わざるを得ません。他人を集中攻撃して「あたまがわるい」などのレッテル張りをされるのであれば、もう少し根拠をお示しになるべきでしょう。

まとめ

以上のことから、今回のトリアージの件を「理解できない」とすることが「あたまがわるい」という中傷に値しないことはおわかり頂けたかと思います。
ちなみに題名の意味はhokusyuさんならおわかりのはず。他ならぬあなたにこの言葉を突きつけなければいけないのは本当にがっかりです。

追記

ブクマで「ググレカス」とおっしゃってる方々がいますが、ぐぐってもわからなかったから書いているんです。そんなことをおっしゃるなら、ゲージ理論について用語の説明なしで記述してあげますから、ぐぐるだけで理解して頂きましょうか?それともあなた方は、ご自身が何年もかけて勉強されたことを他人がぐぐるだけで理解できると期待なさるほど、ご自身が「あたまがわるい」とお考えなのでしょうか?
だいたい、hokusyu氏のダイアリーを全部見てでもいない限り、人文系でない人間にとっては「ホモ・サケル」という用語を今回初めて見たとしても何の不思議もないわけで、そんな見たこともない用語が今回の件の説明のキーワードであると、説明もなしに理解せよとおっしゃるのですか?少なくとも、今回の記事が上がるまでに「あたまがわるい」という侮辱をされた方々は、
「『あたまがわるくない』人間ならば、『ホモ・サケル』という用語の存在自体を知らなくとも、『ホモ・サケル』という用語の示す概念がトリアージ騒動を理解するために不可欠であることを知り得たはず」
とお考えだったと解釈せざるをえませんが、それでよろしいのですね?
そもそも、百歩譲って用語はぐぐっただけで理解できるとしても「3番目」というのが何の順番かは絶対に理解できないでしょう。それとも「第五列」の親戚ですか?などと皮肉を言うとここだけに集中攻撃喰らうんでしょうかね、くわばらくわばら、口は禍いのもと。
私には、それでは人口の99%は「あたまがわるい」ということになってしまうと思えます。どれだけ、読者の知識、あるいは透視能力を要求されているのでしょうか?「あたまがわるい」のは一体どなたでしょう。

追追記

ブコメより。

id:shibashuji ブコメだけ読んで ハーバマスのいう「生活言語」なんてありえんの?と疑いつつも、自分の世界のジャーゴンを「ググレカス」の一言で押し付けるのは、人文学に身を置いてきた自分としてはやってはいけない作法なんだよな。

人文学に限らず、その通りだと思います。それが常識だと思います。例えば論文や学会発表でも、その分野で一般的でない知識には必要な範囲の説明を求められるのが普通です。それが知的誠実さというものだと思います。その常識がこの件に限って通用しないのは本当に理解に苦しむことです。

id:yamatedolphin 価値中立な学問があるという考えって、近代的な価値観そのものという気がする。理性信仰はニセ科学の温床

原則論は結構ですが、今回の件がそれで済まされないとお考えなら具体的な問題点をご指摘下さい。だいたい、「近代的な価値観」で何が悪いんでしょうかね。それに、なんでも「ググレカス」で済ませるあなたたちこそある種の「理性信仰」だと思いますがね。偶像崇拝的な意味でのね。

id:Wallerstein あたまがわるい, これはひどい 「学問やってる人間をなめないでほしい」と言っていたんではなかったけ?それが泣き言を言ってはいかんな。そもそも「学問やってる人間」なら知らないことがあったらググるだけではなく、本を図書館で探して読め。

他ならぬあなたがそんなことを言うとは、本当にがっかりです*1。あなたのことは尊敬していたのですが、その念が完全に吹っ飛びましたね。私はそもそも、どの概念が今回の件に該当するのかさえわからなかったと言っているし、わかったところで関連性がわからないと言っている。要するに調べようがないわけです。調べようがない段階から、あなた達の内輪用語と内輪論理の連発される文章を容易に読み解けるレベルに至るまでは年単位の時間を要するのが常識で、それをあなたは「やって当然の努力」とお考えなわけですか?私の貴重な時間のうち、年単位をあなた方に捧げよと?いったい何様のつもりなの?
よろしい、それならそれで結構。ならば、あなたも今回の件に密接に関わる「数理計画」の勉強をして頂きましょう。そうですね、さしあたり、「カルーシュ・キューン・タッカー条件」についてあなたは当然ご存じですよね?知らなければ「あたまがわるい」ですよ。その筋の学部3年生なら誰でも知っていることですからね。
何の本に書いてあるって?教えませんよ。「数理計画」とヒントまであげたんだから、そこから先は自分で勉強できますよねえ?
ま、一週間後にテストしますから、勉強してきてください。わからなかったら「あたまがわるい」と呼ばせて頂きます。

id:buyobuyo あたまがわるい「それはあなた方も同じ」いっしょにするな

ああ、これは失礼。あなた様は経営学をご存じでいらっしゃるので。となれば、馬鹿な理系と違い、はてなの人文系様は経営学等というカスな学問は知っていて当然と言うことですね。なんともあたまのよろしいことで。

*1:後日追記:この下りはお互いの誤解に基づいたものであることがわかりましたので、その旨ご承知下さい。