帰謬法ならぬ帰ナチ法はいいかげんにやめてはどうか

ちょうどこのブログを立ち上げてほぼ一年となるが、件の騒動に関して誤りを未だに認められない人がいることには呆れ返るほかない。

特に、この人はまともなことを書ける人だと思っていただけに、最低限の理解力もないことを見せつけられてはただ脱力するだけだ*1

トリアージホロコーストを結びつけるのは、たとえばReductio ad Hitlerum - Wikipedia*2に見られるように典型的な論理的誤謬として知られているのだが、そんなことを本職の研究者がわからないとはなんともやるせない話である。

どう言われても桶屋は儲かりません

ところで、少し前にはてなで「トリアージ論争」というのがありました。トリアージとは、災害救助などの「緊急時」において、医師や医療資材などが限られているときに、「助かる可能性がない」と判定された重傷者の治療を一番あとまわしにする、という仕組みです。これは、より多くの命を救うための措置、とされます。トリアージの論理の中に「より多くの人命を救う」という「大きな道徳」が持ち出されていることで、多くの人は「(重傷者を治療せずに放置するというような)通常の道徳に照らせば許されないことも、場合によってはむしろより道徳的なことなのだ」と納得させられてしまいます。このトリアージという仕組みそのものに含まれる詐術についてはid:toledさんのこのエントリー(http://d.hatena.ne.jp/toled/20080523/1211468400)で明快に指摘されていますが、問題はこのトリアージという一見もっともらしい理屈が、殺人者の英雄化の理屈に容易に転じる、ということです。
プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記(さるとらにっき)

完全に間違っている。どうすれば「転じる」のか指摘してもらいたい。何度も何度も本ブログで取り上げた*3ように、「トリアージ」という話は災害救急の場に限った話であり、他の場に転じるわけではない。

そもそも、このような実際上の問題を扱う場においては、「思想的に通底する」という論法はそもそも適用できることが極めて少ないことがどうしてわからないのだろうか。「全体最適」という枠組みはそもそも、物事の価値付けについては何の前提も与えていないわけであって、「トリアージ全体最適」という命題は「生存者数を最大化することのみに価値を置く」という前提を外から与えて始めて成り立つものである。この前提は災害救急の場の外では不適切であることはあまりにも明らかであり、従って他の場に「転じる」というのは単なる杞憂であると言わざるを得ないのである。

詐術というならまともな代案を出してもらいたい

そもそも、トリアージをこれ見よがしに「詐術」などと安易に言ってのけること自体が災害救急の現場で働く人を人殺し呼ばわりするかのような侮辱的極まりない暴言なのだが、そのことが未だに自覚されていないのは一体なんなのだろうか。

実際問題、あなたが災害救急の現場の方針を策定しうる立場に立つとして、トリアージ以上にマシな手段があるならばそれを教えて欲しいものだ。それを提言できるなら是非とも今すぐやっていただきたい。冗談抜きで私を含めた全世界から感謝されるはずである。

実際、そうであろう。不公平が生じないためには事前に方針を定めるほかなく、そうすると無作為に選んだ人の生存確率が高まる戦略、即ち生存者数を最大化する戦略以外選びようがあるまい。それを実現するための方法としてトリアージ以外に他になにかあるであろうか?

もちろん、トリアージを実現するためには「選別」が不可欠であり、それに対して心穏やかではあり得ないのは当然だ。だが、それを「詐術」と呼ぶことで一体なにが起こるかよく考えてみて欲しい。「詐術」即ち「選別」を避ける唯一の方法、それは「現実逃避」、つまり「全員見殺し」である。これが最悪の選択肢であることは言うまでもない。そしてそれ以外のいかなる行動も、論理的には「選別」になってしまうのだ。つまり、「見殺し」を選ぶのでなければ「詐術」に自動的になってしまう以上、これは状況が「詐術」を不可避にしていると言うことになるが、それを批判して、関係者を侮辱する以外にどういう利点があるのだろうか?

ショッカーじゃあるまいし

最後に蛇足ながら、こういう陳腐な言い切りも呆れかえると言っておきたい。

ロックスミスも、「ダーク」ヒーローかもしれませんが、やはり「ヒーロー」として描かれています。そして、小泉や竹中や橋下が支持されるのも、たぶんに「ダーク」ヒーローとしてであるわけです。
とにかく、フィクションの登場人物とはいえ、ロックスミスに魅かれる『プラネテス』読者が多い*2ということと、小泉や竹中や橋下が支持されることは、無関係ではありえないと私は思います。
プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記(さるとらにっき)

私自身、ここで挙げられた三氏に対して批判がないわけでは決してないが、曲がりなりにも法的・民主的手続きによって選出された人物を支持する人をこのように見下したように切り捨てるのは選挙民への冒涜だと思うが、いかがであろうか。竹中氏の政策に弊害が多いのは事実であろうとは私も個人的には感じているが、それを批判するためには最低限の経済学的な知識の裏付けが少なくとも必要であろうし、そういう知識を選挙民あるいはid:sarutora氏のブログの読者が一般に持っているとは到底思えないのだが、どうであろうか。

相手はショッカーではないし、無論ヒットラーでもない。理由を挙げもせず一方的に悪のレッテル貼りをすることは、ただ読者層を無為に狭めさせるだけであると、僭越ながら忠告させて頂く。

*1:これを「『がっかりした』論法」などと無意味な揶揄をする人がいることは予期できるが、無視。

*2:この名前は「帰謬法」(Reductio ad absurdum) に引っかけたもので、あえて和訳すれば「帰ナチ法」であろう。

*3:例えば、この記事猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解 - 吾輩は馬鹿であるの「その1」「その2」を参照。