beijaflor氏との対話の続き

記事「論法の同型性」論法の危うさ――コメント欄延長 - 吾輩は馬鹿であるおよび期間終了――コメント欄延長 - 吾輩は馬鹿であるのコメント欄でbeijaflor氏との対話を続けてきたが、容量の問題と整理の都合上、こちらでまとめて応答させていただく。

私の返答

個別の合理性には対応した不可分の前提が必要、ということはお互いに同意したということでよろしいですね。

おっしゃるとおりです。

主張したいのは「経営学の大事な概念として合理性がある、この合理性を使ってトリアージの手法を説明できる」ですよね。

おっしゃるとおりです。

トリアージは、経営学でいう『合理性』を持っている」の「経営学でいう」という但し書きは必要なものですか?
私はfuku33さんの主張を正しく理解すると必要になる、と思っていますが、Sokalianさん自身はどうお考えでしょう?

答えにくい質問だと思います。読み手によっては「この『合理性』は経済学上の『合理性』だ」と正しく理解できるという意味では「必要ない」とも言えますし、実際問題として誤解する人がこれだけ多くいるという意味では、結果論として「必要だった」とも言えますし。

たしかにfuku33さんの主張が「「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく」であれば反論する点はなくなりますが、私はfuku33さんが「経営学的思考の有効な例としてトリアージを取り上げた」と思っていますので、反論する箇所はあります。

私はその両者に違いがあるように思えませんが…?

理論の正しさを検証するためには、現実に適用可能なことを帰納的に確かめていくしかありません。

帰納とは・・・「一般的にいって帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。」wikipedia
wikipedia「証明」・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E6%98%8E

私は学者ではないので「そうなのか!」と一瞬信じそうになりましたが、さすがにちょっと間違いですよね。

いえ、あなたのおっしゃることも正しいのですが、私の言うことも正しいと思います。
この話は科学哲学の入門書あたりには必ず書かれていることですが、たとえば「明日太陽が昇る」ということは絶対証明できません。限りなく高い蓋然性を持って「正しい」と言えますが、それ以上のことは言えません。経験科学とはもともとそういうものです。
ただし、科学理論の正しさが「蓋然性」の段階でしか証明できないにせよ、誰しも「進化論は正しい」という言い方を使いますし、同時にそういう言い方をする人が「進化論を上書きする画期的新理論が出現する可能性」を否定しないというのは普通にあることです。
私は「正しさ」という言葉をその意味で使ったつもりです。

トリアージは「正しさについて一定の合意が得られている例」ではありません。
wikipediaトリアージから議論の項目を参照してください(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8)。

もちろん、反論はあり得ます。ただ、反論はあっても世界の各地で災害時に用いられているということは、「一定の合意が得られている」と言ってよいのではないですか?たとえば、相対性理論にだって反論がないわけではないそうですが(トンデモさんとは別に)、紛れもなく相対性理論は「一定の合意が得られている」理論ですよ。

私は「論理的つながり」の話をしていますので、以上の主張は無視してもよろし
いですね?

では、あの授業でfuku33さんが「ホロコースト」を例としてあげる事も問題ない。
「それは非人道的だ」と生徒が批判したら、「ナイーブ」だ。と判断するわけですね。

あらためて、以上の質問にお答えいただけますか?
誤解されないように補記すれば「「トリアージ」の例示の置き換えとして「ホロコースト」を例として」です。

「論理的つながり」だけに限って話をするのであれば、「ナイーブ」と判断することが妥当か否かにはお答えできません。なぜなら、「講義」という場という前提が既に「著しく誤解を招くような説明は不適切である」という前提を含意しているからです。しかも、「著しく誤解を招く」の定義がまた難しいですし。