前記事反応への返信

前記事お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事 - 吾輩は馬鹿であるへの返信である。なお、前記事中に追記した内容の一部は本記事に移動した。

twitter/togetterへの返信

前記事中で私が_nagashimam氏を

@kumikokatase そういう発言が、カジュアルで無自覚な歴史修正主義者の発言と酷似してるから批判されるんですよ。発言の主観的意図と、話者を離れて社会的にその発言を位置付けられた時の意味の違いにもっと敏感になった方がいいですよ。

nagashima m. on Twitter: "@kumikokatase そういう発言が、カジュアルで無自覚な歴史修正主義者の発言と酷似してるから批判されるんですよ。発言の主観的意図と、話者を離れて社会的にその発言を位置付けられた時の意味の違いにもっと敏感になった方がいいですよ。"

明らかに、片瀬氏は歴史修正主義に宥和的だと決めつけている。これが色眼鏡でなくていったい何なのか。上に述べたように、歴史修正主義を警戒する立場であってさえ片瀬氏の発言は成り立つのである。

お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事 - 吾輩は馬鹿である

のように批判したことについて同氏から反応と思われる書き込みがあったので再反論する*1

(1/6)あちこち議論が拡がっているようなので補足します。まず、私は片瀬さんが歴史修正主義主義者だとも否定論者だとも言うつもりは微塵もありませんし、片瀬さんが歴史修正主義に宥和的だとも思いません。ただ、歴史修正主義で多用されてきた表現に近いものがあったので指摘しました。(略)
(3/6)私が問題だと思ったのは、「変な色が付いていないという保証も無い」と「決定版みたいなものが無い」です。この文脈でそのように言われると、歴史における学問上の積み重ねが相対化されてしまい、否定論につけ入れられる隙を与えることになりかねません。https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/172506509207547904
(4/6)それは片瀬さんの意図するところではないことも勿論わかっています。しかし、表現された文章は、そのように読み取る余地が十分にあるものでした。ニセ科学批判ふうに言えば、「悪しき相対主義」は歴史修正主義への道を開く、とでもなりましょうか。

「サイエンスライターと南京大虐殺 2012」への補足 - Togetter

要するに「誤解されるような言い方をするのが悪い」ということだろうか。なぜか昨今はこういうのが「常識」として罷り通っているようだが、私はこの種の考えが大嫌いだ。誤解はどこまでいっても誤解であり、特に今回のような下司の勘繰りはする方が悪いに決まっていよう。要するに「いじめられるような言動をする方が悪い」というのと同じ考えである。そんなことがあってなるものか。
なお、同様のことは枝野官房長官(当時)の「直ちに影響はない」発言を「長期的に影響がある」と曲解した「進歩的で堅実なる多数派」諸君にもいえる。何でもかんでもそんな風に邪推されたのでは口もきけたものではない。いわんやそれを「コミュニケーション」の巧拙で語るなど、まるで何でもかんでも「コミュニケーション能力」だの「人間力」だので解決するというような、君らの嫌いなどこぞのインチキネオリベと一体何が違うのだね?

ブックマークへの返信

次に、前記事ブックマークページはてなブックマーク - お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事 - 吾輩は馬鹿であるで頂いた反応に返信する。

b:id:rna どこまでを「歴史修正主義に宥和的」というか。片瀬氏は歴史修正主義を支持しないけど「足止め効果」を警戒するほどではない、僕から見れば「風呂の種火が付けっぱなしでも平気な人」みたいなイメージ… 2012/02/27

申し訳ありないが、具体的にどのあたりが「足止め効果」に対して無警戒であることなのか理解できない。片瀬氏の発言は秦説や笠原説のような「一般人にとってアクセスが比較的容易な有力学説」を前提としていると読んで何の矛盾もないものであり、またそう読むのが自然ではないだろうか。それともこの種の件について発言するときは「それにつけても歴史修正主義は滅ぼすべきである」というようなマントラを付け加えなければならないのだろう。昨今は原発について語るときは「ちなみに私は脱原発派である」と断らなければ(断っても)「エア御用」と決めつけられてリンチに遭うという魔女狩り現象が起こっているが、それと同じような不健全な状態こそがあるべき姿だとおっしゃるおつもりか?
こういってはなんだが、片言隻句を捉えて「非国民」だの「反革命」だのと決めつけられるような寒々しい世界は真っ平御免である。法律職の公務員でも何でもない一般人が75年前の出来事を単なる歴史的一事実として言及することが禁止されなければならないというのは明らかにおかしな話だ。国際関係上政治化されている問題であるからといって、一般人も常に十全の政治的配慮をもって官僚答弁のごとくに発言しなければいけないなどというのは全くもって理解不能である。それは別の問題でいえば、私人といえども「北方領土竹島尖閣諸島は放棄すべき」と主張する者は国益を損なう輩であるから「非国民」「売国奴」と罵られることを甘受せよ、あるいは「天皇機関説」とは畏れ多くも天皇陛下を「機関」などとモノ扱いする不敬の思想である、というようなものである。
まあ実際原発関連ではそういうことが現実に起こっているわけだし、進歩的で堅実な多数派の方々はトンデモ論に対する「足止め効果」を心配してなんてくれもしないのであるが。

b:id:Fondriest ああやっぱり通常運転か。ブログタイトルは本人は気の利いた皮肉のつもりなんだろうが、単なる事実言明にしかなってないよね。 2012/02/27

本当に君たちはアホバカマヌケ以外のことが言えないのかね。そんな悪口をいくら言っても私は面白がってますます図に乗るだけだという想像もできないの?もっと私が返答に詰まるような鋭い批判を突きつけてみなよ。できるものなら。

b:id:syakomin 批判されて冷静にいるというのは難しいだろうから(自分もそうだし)反発するのも仕方ないと思うけど時間はかかっても受け止めて欲しい意見だよ。今の時点だと頭の中で門前払いしてるでしょ 2012/02/29

どの意見を指してそう言われているのかわからないが、揚げ足を取られてイチャモンをつけるなど門前払いされて当然です。そんな奴に迎合などする必要ない。他者に対する印象が悪いことを以て非難に値するというのなら不細工は非難に値する悪徳ということになろう。

b:id:sandayuu よく批判されてるような、「月着陸捏造説みたいなトンデモとアポロ計画を同レベルで比較してるようなもん」という喩えでもこの問題が理解できないんだろうか? 2012/03/01

今回の件では誰が何と何を「同レベルで比較」したというのか。そう判断できる根拠はどこにあるのか。先入観なしに今回の一件を読んでそう読み取れるのであれば、誰かさん流に言って「国語の成績が悪い」としかいいようがない。

b:id:Cunliffe 歴史修正主義 そかりあんせんせいがニセ科学批判教団を擁護するのは、犬が人間に噛み付くようなもので別に意外でもなんでもないな。 2012/03/0

君がニセ科学批判を「教団」呼ばわりするような下劣な発言をするのも犬が人間に(以下略)。

b:id:kyo_ju 味わい深い 老婆心ながら。福島の酒だから旨いみたいなことを言っちゃう時点で党派性に目が曇っているという批判は免れないと思いますよ。どこが産地だろうが、放射能汚染の危険があろうがあるまいが、旨い酒は旨い訳で。 2012/03/01

言語明瞭意味不明もよいところである。福島の酒が(少なくとも私にとって)旨く、そして訳もわからず放射能放射能と騒いでいる「進歩的で堅実なる多数派」諸君がその楽しみを自ら放り捨てていることは紛う方なき事実である。それを述べることが「党派性に目が曇っている」のなら述べないことも「党派性に目が曇っている」ことになろう。同じことなら言いたいこと言わにゃソンソン、である。
ちなみにここで「党派」とあなたが述べているのは「トンデモ」と「非トンデモ」の対立なわけで、これらを並列することは、歴史修正主義関連の文脈ではあなたたちこそが批判していたことではなかったか?

b:id:tokoroten999 この人は属人的に事実を判断する人だからなあ(笑)http://d.hatena.ne.jp/tokoroten999/20080814 2012/03/02

せっかく得意げに出してきたご自身の記事だが、その記事に書かれている内容を「属人的」と読むのは全くの曲解である。断片的にでも知識を持ち、なおかつ議論をする上での態度*2を見れば大抵のことはわかるものだ。逆に同じやり方で専門家か否かを判別することもできるし、専門家が断言することというのは基本的に信頼してよい。それは普通のことではないか。
ついでに言うと、あなたはその記事のコメント欄で

自分ではよくわからないのに他人(しかもどこの誰かも明示されていない)の意見を持って「ネット右翼レベルの知識しかないことは確信」とか「ネット右翼南京事件に関する主張は論ずるに値しない」と言える理由が不明だし、私には理解不能です。

はてなブックマーク - お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事 - 吾輩は馬鹿である

などとおっしゃるが、ではあなたは一時資料とは言わないが学術書や論文まで読み込んだ上で、たとえば「ネット右翼南京事件に関する主張」が誤っていると一々判断するのだね。お暇なことで。少なくとも私はそれぐらいのことをしないと「わかる」とか「知っている」なんて言葉を軽々には使おうとは思わないがね。

追記

b:id:j_whiskey 自分の歴史修正主義的欲望を隠せていないよ。 2012/03/02

はてなブックマーク - 前記事反応への返信 - 吾輩は馬鹿である

そうね、隠せてないね。なぜならそんなものは最初からないからね。前記事に書いたとおり、

私自身の「南京大虐殺」に関する認識は秦郁彦南京事件」(asin:4121907957)と笠原十九司南京事件」(asin:4004305306)氏の新書を読んだ程度である。

お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事 - 吾輩は馬鹿である

であり、従って南京大虐殺の死者数は数万から二十数万の間であろうと考えているが、それが何か?

*1:なお蛇足ながら下記引用のまとめについて「南京事件の異質性は、これを認めることで賠償などの損になることはあっても」なる下りが物議を醸しているようだが、当事者でない戦後世代の人間がこれを損得で考えることは至極当然である。当事者の曾孫の世代に同士にとって過去のいきさつなど純粋な債権・債務問題以上のものであってはならないだろう。それとも罪は九族に及ぶとでも言いたいのか?

*2:ここでいう態度とは喧嘩腰か否かといった礼儀作法のことではなく論理的整合性などのことだ。

お前の大事は俺の些事、俺の大事はお前の大事

今回の福島第一原発事故に限らず、公害問題といえば必ず引き合いに出されるのがイプセンの「民衆の敵」である。この作品では、村の繁栄の拠り所である温泉が病原菌に汚染されていることを告発しようとした医師が「民衆の敵」のレッテルを張られて村八分に遭う、という筋書きで、まさに一部の反原発派が我田引水したがるような話であろう。

だが、この話のその後はほとんど語られることがないようだ。新聞社は当初正義を語って主人公の医師の味方をしようとするのだが、主人公の目的が村当局を攻撃することよりも事故を未然に抑止することにあるとなると途端に掌を返して主人公を「利権目当ての御用学者」扱いし、「民衆の敵」のレッテルを張るのである。そして大衆はそれに付和雷同し、激怒した主人公は村民を集めた集会の席で「進歩的で堅実なる多数派こそが真理と自由の最大の敵だ!」と絶叫するに至るのである。

またヴォルテールの「カンディード」はリスボン大震災を目の当たりにした作者が世の不条理さに打たれて書いた小説だが、その中に、震災後の混乱状況で民衆の不満を逸らすために異端審問と火炙りが行われる下りがある。

巷に渦巻く放射能パニック、そして有力学説を述べただけの山下俊一、中川恵一、菊池誠の各氏ら、本来「原子力村」と何の利害関係もないはずの学者たちまでもが「御用学者」のレッテルを張られて袋叩きにされている現在、これらの諸作品を読み返すと、つくづく人類は進歩しないものだと思わずにはいられないものである。

まさに「歴史の教訓」に学ぶという態度が欠けているのである。

南京大虐殺ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

さて、そうした嘆かわしき現象には義憤に堪えない私なのであるが、社会の場末であるblog界の中でもさらに場末な本blogでも扱える程度の事件というのがあったので取り上げておく。

まとめよう、あつまろう - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/262769

片瀬氏の発言のどこが問題なのかまるで理解できないのは私だけであろうか?余程の色眼鏡で見ても、片瀬氏が歴史修正主義に宥和的とはとても思えない。それにもかかわらず、この集中砲火の嵐。

結局のところ、南京大虐殺について少しでも「政治的に正しくない」いや、「政治的な模範解答と違うとの誤解を招きかねないこと」を言及することが許されない、ということのようにしか思えない。ご真影に傷を付けたから死んでお詫びをする、というような時代錯誤な認識ではないのだろうか。今は2012年である。傘寿を迎えたような人でも1937年当時は幼児である。もはやバブルの狂躁を覚えているのが中年以上の世代であるのと同様、現在生存中の人のほとんどは当時の雰囲気を直に体感していないのである。現在のフランス人がナポレオン戦争について何らの責任もなければ後ろめたさを感じる必要すらないのと同様に、ある程度より下の年代が南京大虐殺を「生々しい話」と感じていなくてもそれは当たり前のことであるということは認識していただきたい。

「日本の犯罪」と言われても、そもそも「日本」と自分を同一化しているのは右翼と左翼の人たちだけなのである*1

その程度の感覚の違いにすら想像力が及ばない人間がよくもまあ「想像力の欠如」などと言えたものだと思う。

片瀬氏の発言の何が問題なのか

と、主観論だけで終わっても何なので、上記リンク先の片瀬氏の発言のうち、問題視されているものだけを拾い上げ、同氏に寄せられた非難がいかに理不尽であったかを示しておくことにする。

なお、「歴史修正主義者」との言いがかりをつけられる前に断っておくが、私自身の「南京大虐殺」に関する認識は秦郁彦南京事件」(asin:4121907957)と笠原十九司南京事件」(asin:4004305306)氏の新書を読んだ程度である。そして同時に、私は世の中の平均から見て近現代史に興味がかなり強い方であると思うし、勉強不足と罵られる筋合いもないと言っておこう。

同氏の発言で最も非難されているのがこれだ。

その新書自体に変な色が付いていないという保証も無いですし…。決定版みたいなものが無いから問題がややこしいんじゃないでしょうか? RT @_nagashimam:新書一冊ぐらい読んでからにした方がいいとは思いますが^^;;

Twitter. It's what's happening.

これのどこが非難に値するのかまるでわからない。例えば「決定版」として通常推されるのは上記両書だが、両書の結論はトンデモではない範囲ではかなり両極端に異なっており、方や死者数は数万どまり、方や十数万以上である。無差別殺戮として東京大空襲ドレスデン爆撃の規模を下回るのか、広島や長崎への核攻撃の規模に至るのか、という違いである。

また、秦郁彦氏は「新しい歴史教科書をつくる会」に関わっているし、「新書自体に変な色が付いていないという保証も無い」という懸念を持つのは余りにも当然ではないか。また、笠原十九司氏は著書の中で変な俗流心理学本に傾倒していることを公言したりなど、この人もかなり癖の強い人であることは違いない。

正直言って、素人目には「どちらもかなり変わった人なので、『少なくとも両書に共通して述べられていることは現在知りうる限りまず間違いなく正しい』程度の態度で見ておこう」という程度の慎重な見方をせざるを得ないのが当然ではないだろうか。

これに対して寄せられた批判はいずれも以下のようなものだ。

@kumikokatase そういう発言が、カジュアルで無自覚な歴史修正主義者の発言と酷似してるから批判されるんですよ。発言の主観的意図と、話者を離れて社会的にその発言を位置付けられた時の意味の違いにもっと敏感になった方がいいですよ。

Twitter. It's what's happening.

明らかに、片瀬氏は歴史修正主義に宥和的だと決めつけている。これが色眼鏡でなくていったい何なのか。上に述べたように、歴史修正主義を警戒する立場であってさえ片瀬氏の発言は成り立つのである。同氏が

南京事件については、南京大虐殺はなかったとする立場で調査した「南京戦史」http://goo.gl/QALVl はかなりオススメ。図らずも少なくともこれだけのことは確実にあったんだなという読み方ができます。おいそれと「無かった」なんていう状況ではないと分かるはず。

Twitter. It's what's happening.

などというシニカルな発言をRTしていることからみてもこのことは裏付けられよう*2

また、

b:id:D_Amon 永久に無知に居直った「中立」でいるために「知りたくない」のではないのであれば史実派の本も否定派の本も多数読み込めばいい。位置取り優先なら「南京事件をどうみるか(藤原彰)」を読んでから自分自身を見ればいい 2012/02/23

はてなブックマーク - 片瀬久美子🍀 on Twitter: "その新書自体に変な色が付いていないという保証も無いですし…。決定版みたいなものが無いから問題がややこしいんじゃないでしょうか? RT @_nagashimam:新書一冊ぐらい読んでからにした方がいいとは思いますが^^;;"

のような批判については、「みんながみんなネット上の口喧嘩のために命まで張るような危険人物とちゃうねん」としか言いようがないところであろう。

俺がアホならお前もアホや

まあ、一億歩譲って片瀬氏が本当に歴史修正主義に親和的だとしよう。だとしても、原発関連でトンデモに親和的なあなた達がそれを言う資格があるのか、と思う。

冒頭に述べたように、「御用学者」「エア御用」などと人格否定をされ続けている科学者達はただ「有力な学説」を述べただけである。それを「原子力村の御用学者」と非難するというのは、例えば笠原氏あたりが歴史修正主義者から「売国奴」だの「中国の御用学者」と非難されたのと何も変わらない。そしてその理不尽な非難に対して宥和的な態度を取ること自体、一部保守派が歴史修正主義に宥和的な態度を取っていたことと全くもってそっくりである。あなた達はそういうことを非難してきたのではなかったか。

ああそうですか、「学説を述べるという行為も政治性を帯びる」ですか。だとすれば歴史学者が何か言ってアカ呼ばわりされても当然と言いたいのですね、なるほど。何?「放射線防護学は原子力村からの政治的圧力が云々?」ああそうですか、だとしたら某国だの某党だの色々こちらも陰謀の種には事欠かなさそうですね。「確かなことが言えない以上安全側に見積もるのが当然」というのなら同じ論法で日本の戦争犯罪も相当程度に矮小化することができそうですよ。秦学説を採用するだけで犠牲者数は格段に減らせる訳ですからね。いやいや、ECRRでさえ認めるなら「まぼろし派」だって認めてもよさそうですね。

かくのごとく、あなた達が「エア御用」に向けた非難はまさに「天に唾」*3となってあなた達自身の頭上に降りかかってくるのである。

そんなこともわからないのに賢しらぶって下らないことを色々言わない方がいい。

b:id:tari-G エア御用の末路 結局、エア御用の常として人文社会科学の素養がゼロないしマイナスだから、確かに読んでも無駄だろう。結局妄言しか吐くことができない。 2012/02/23

はてなブックマーク - 片瀬久美子🍀 on Twitter: "その新書自体に変な色が付いていないという保証も無いですし…。決定版みたいなものが無いから問題がややこしいんじゃないでしょうか? RT @_nagashimam:新書一冊ぐらい読んでからにした方がいいとは思いますが^^;;"

全くもって片腹痛いとはこのことである。「学問」とはどういう営みであるかわかっていないこの人にだけは片瀬氏も言われたくないであろう。

蛇足

本記事は福島産の純米酒を飲みながら書きました。ああ美味い。福島の酒ってとても美味しいよね。ナントカの一つ覚えで「政府は信用できない」だとか「科学者の政治性が」とか小難しい屁理屈を捏ねることしか能がない人はこういう楽しみと縁がないんだろうな。酒飲みでありながら訳もわからずに放射能放射能とギャーギャー言っている連中はこういう風に人生を損してるんだろうなあ。かわいそうにねえ。

まあ私はその類の「進歩的で堅実なる多数派」は大嫌いだから、そういう連中が人生を損するのは全くもって慶賀の至りなのだが。

*1:1930-40年代の日本の戦争犯罪を「恥ずかしい」と感じる根性は1980年代生まれの私には理解できない。余程「日本」と自分を同一化しているのではないかとしか思えない。同様に、ドイツやイタリアに観光旅行してヒトラームッソリーニの存在をビスマルクガリバルディ以上に身近に感じることは我々の世代にはもはや難しいのである。

*2:なお、この発言が「まぼろし派」に親和的に読めるなら、誰かさん流にいって「国語の成績が悪い」としか言いようがない。

*3:どうでもいいが「ブーメラン」という言葉は嫌いである。ブーメランは獲物を攻撃できたときには戻ってこないし、戻ってきたとしても自分を攻撃する訳ではなく武器を失さないためなのである

トリアージ批判派がトリアージの必要性を認めた

id:Cunliffe 差別 差別者を「トリアージ」することってそんなにおかしなことですかね、限りあるリソースはまず被差別者に配分すべきでしょう。 2012/01/23

はてなブックマーク - 北守 on Twitter: "まあこういうこと書くと今必要なのは「糾弾する左翼」ではなくて「宥める左翼」である、という奴がいるのだが、クソ食らえでしょ。たとえば、「自分たちがネトウヨなのは社会で不遇であるからである。救済してくれ」という奴に、差別がいかに悪いか丁寧に説明しても理解することはないだろう。"

えーと、この人達によるとトリアージホロコーストらしいのでつまりそういうことですね。思想的に問題がある人間は「生きるに値しない生命」なのでまずはダッハウに放り込み、その後最終的解決をするということですね。なるほどなるほど。

まあ、そういう皮肉はいいでしょう。どちらにしても「限りあるリソースはまず被差別者に配分すべき」というような考え方はお認めになるらしいですね。ならば災害時の医療資源の配分で「限りあるリソースはまず一刻を争う重傷者に配分すべき」という考え方のどこに問題があるのでしょうかね。説明できるものならしてほしいものですな。

「エア御用」と「放射脳」を同列に並べるのは「妖怪どっちもどっち」

上の記事の行きがけの駄賃に、同じくid:logic_master氏のhttp://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111106/1320589341にも触れておく。

「エア御用」を批判するなら、牧野先生や押川先生のような真摯な人たちを「放射脳」呼ばわりしていた人たちにも一言あってしかるべきだろう。「エア御用」を批判して「放射脳」タグを使う人は論外もいいところだと私は思う。

http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111106/1320589341

個人的には放射線被曝の影響に関する牧野淳一郎氏や押川正毅氏の主張は極論だと思う*1が、そこまで感情的な非難をしていた人たちがいただろうか。私は寡聞にして知らないのだが*2。実際、「放射脳」呼ばわりされた人と両氏の間には厳然たる差があることには疑う余地はないのではないか。

それはさておくとしても、私の見る限り「放射脳」という言葉は福島県民を傷つけ農産物の風評被害に繋がるような無神経な発言をしている人にもっぱら向けられているのに対し、「エア御用」呼ばわりされている人の発言内容は少なくとも自明に不当なわけではないので、これを一緒くたにするのは「妖怪どっちもどっち」に思えてならないのだが、いかがであろうか。

これを一緒にするのは「トンデモ」と「科学教」、「自虐史観」と「自慰史観」、「反日日本人」と「ネトウヨ」「コヴァ」などを同列視するようなものだ。いずれもレッテルとしては下品であり口をはばかるようなものであるが、それに付随する立場には明らかな優劣がある。そのことには留意すべきであろう。

追記

なんだか牧野氏から枝葉末節な部分に反応が来たので一応最小限だけ言及しておく。

これは単にこの人が全電源喪失の意味も私の見積もりの意味もまるで理解する気がないかあるいはその能力がないというだけのことである。

Twitter. It's what's happening.

つまり、「全電源喪失」の時点でここまで事態がエスカレートするのは不可避だったと?最近に至っても専門家がそれに反する見解を出している*3のに、あなたからそれに対する反論が出ていた記憶はありませんし、あなたがリンク先の奈良林氏ら以上に原子炉の仕組みを正しく理解していると考える理由もない以上、あなたの見積もりがそこまで正しいと断言する度胸は私にはとてもありません、とだけ述べておきます。

追々記

牧野氏がまだ絡んでくるので。正直、この人の他人に対する態度には違和感があったが、まさか人をのっけから馬鹿呼ばわりするような無礼な人とは思わなかったし、そうとわかっていれば言及しなかったのだが、こちらも腹の虫が治まらないので。しかし、どこの誰とも知らぬ「馬鹿」*4が脚注の中で一言触れただけのことにそれほど噛みつくとは、一体何がそんなに気に食わぬのだ?本記事中の位置づけという意味でもあなたに対する言及という意味でも枝葉末節ではないか。まして本記事自体が前記事への蛇足というようなものなのだから、まったくもって揚げ足を取られた気分である。

あなたがリンク先の奈良林氏ら以上に原子炉の仕組みを正しく理解していると考える理由もない以上、あなたの見積もりがそこまで正しいと断言する度胸は私にはとてもありません、とだけ述べておきます。

この「専門家の見解」、3/11 の午後4時に正しい対応ができていたら1号機については炉心溶融までの時間を引き延ばすことができたかもしれないという意味なので、水素爆発が起こってからの話とは無関係。

Official journal of Jun Makino

そんなことはわかっている。だとすれば「全電源喪失」(前追記引用部参照)云々というのは何なのか?これはあなたがそんなことを言うから探してきた話なのだが。

私も 3/11 夜の段階では「水を注入できればまあ燃料棒破損は避けられ るかもしれない」と、引用先の見解と類似で当時の実際の状況と現在されて いることから見るとまあ随分楽観側に外したことを書いてる。

Official journal of Jun Makino

だとすれば私はその点に関してはあなたの見解を記憶違いしていたかもしれない。その点はお詫びさせていただく。だが、だとすればなおのこと「全電源喪失」云々などというのは私への反論として的を外しているのではないか。

まあ、この人の思考過程は面白い。専門家Aと専門家B(まあ私は原子炉の専門家じゃないんだけどさ)でどっちか正しいか自分は判断できないから、自分の考えに近いほうも正しいかもしれない、という形式になっている。
この形式の思考自体は必ずしもいけなくはないんだけど、問題はここでの「自分の考え」が実は専門家Aと専門家Bの考えのどちらにもサポートされてないものだということ。

Official journal of Jun Makino

「自分の考え」?私は、あなたが言うような意味での(つまり、当時の状況がどうだったかという点に関する)「自分の考え」を述べたつもりはない。当時の合理的な予測には幅があり得て、あなたの見積もりが唯一の合理的な解ではないと言っているだけだ。実際、私自身、当時あなたの日記を見ていて納得させられた点と疑問に思った点があり*5、だからこそ「幅がある」と書いたわけだ。
それに、私はあなたと奈良橋氏を同列の「専門家」とは思っているわけではない。あなた自身「私は原子炉の専門家じゃない」と言っておられることであるし、そういっても失礼には当たるまい。まして、あなたの見積もりは情報が限られている段階で概算的に出したものだ。そういう状況下ではあなたの見積もりは質が高いものであると私にも思えたし、専門外の問題に向き合う姿勢としては学ぶところは多かったのだが、それとこれとは全く別の話だ。情報が当初より豊富な現在、あなたより知識が豊富な人がゆっくり解析した結果があるとすれば、そちらの信頼性を論ずるまでもなく却下することは不合理であろう、というだけの話である。

とはいえ、馬鹿と名乗る人に私が正しいと断言されるのも嬉しくないかもしれないから、特に意見を変えて欲しいわけではない。

Official journal of Jun Makino

まあ私も、思いこみで突っかかってくる人と議論して得られるものが大きいとは思わないので、あなたに「特に意見を変えて欲しいわけではない」。ただ、あなたの尻馬に乗ってやいのやいの言っている連中に「どや顔」させておくのは癪に触るのでね。

*1:事故の重大性の見積もりに関する牧野氏の見積もりを批判するものではない。ただし、不確かな情報しか得られない状況だった当時、合理的な見積もりにはかなりの幅があり得た。一番悲観論寄りだった牧野氏の指摘が不幸にして一番当たっていたことは多かれ少なかれ結果論であり、牧野氏との対比で「エア御用」と貶められる物理学者たちの分析能力を嘲笑するのはかなりの部分不当である。

*2:対して、牧野氏の菊池誠氏への攻撃のやり方は、単に主張の批判を超えたやり過ぎの部分があるように私には思える。

*3:一次情報が見つからないのが残念である。

*4:ついでに言うと、牧野氏は経緯を知らぬとは思うが私は「馬鹿」を自称しているわけではない。私をいきなり馬鹿呼ばわりした人間が他にもいて、そういう連中に当てこすりを言っているだけである。まあ、そんな事情と関係なしに、仮に自嘲や謙遜で「馬鹿」と言っていたのであろうと、赤の他人がその人間をいきなり「馬鹿」と面罵されれば怒りを買うのは当然である。いい大人がそんな礼儀もわからないのか?

*5:その点の詳細を書くとまた絡まれそうだし、元々原発自体に関する議論はやりたくないので、この点への質問は一切お受けできない。

「エア御用」と逆の側に「取り返しのつかない事態」を煽る危険はないのか

原発絡みの話題は余り書きたくないのだが、先日話題を集めたid:logic_master氏の記事http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111113/1321202736だが、なされて然るべきと思われる反論が出ていない*1ので触れておくことにする。

一般論としては正しいが

悪意がないにもかかわらず、科学的にも適切な行動・発言を行っているにもかかわらず、事態の悪化に手を貸してしまうことは歴史的に見てありえない話ではないのです。いえ、むしろ、私は、科学者の科学者として振舞いには、ある種の事態を悪化させる構造的な問題点が存在しているのではないかと疑っています。

http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111113/1321202736

前半は価値判断を含まない事実の話であり、正しいといってよい。後半も好意的に解釈すれば少なくとも自明に誤りとはいえない。「科学者の科学者として*2振舞い」が事態の悪化を未然に防いだことの方が、かえって悪化を招いたことよりも比較にならないほど多い*3ことを前提とした上で、少数の見落としに構造的要因がないかどうかを考えることは決して無益な営みではないからだ。

だが問題は、今回の事態で「エア御用」と呼ばれた人達の言動にそのような「事態の悪化に手を貸してしまう」蓋然性があったかどうかである。

「事態の悪化」の方向性には二つある

こういうと、反論がすぐ返ってくるであろう。「低線量被曝の影響については確かなことはわかっていない*4わけで、それならば危険性をことさらに小さく言うのはまさにリスクを無視した行動ではないか」と。

ところが、この反論は二重に誤っている。まず「低線量被曝の影響については確かなことはわかっていない」というのは、言い方を変えれば「統計的検出限界以下」、平たく言えば「あったとしても、あるのかないのかわからない程度の影響しかない」ということである。確かなことがわかっていないからといって、あらゆることが起こりうると考えるのは全くの間違いである

そして、リスクを避けるためには、例えば避難といった手段をとることとなるが、転居がうつ病の誘因となるように、これがまたリスク皆無な行動ではないことも忘れてはならない。実際、チェルノブイリにおいては

避難した妊婦から生まれた子どもは、言葉の障害、情緒障害、社会適応性の障害を持つ子が、避難していない妊婦から産まれた子どもに比べて多く、知能指数も低いという結果になりました。
ところが、母親の被曝量と子どもの知能指数を比べると、放射線が原因であれば被曝量の多い方が知能指数は低くなるはずなのですが、そういう結果はみられませんでした。(略)次に、母親、父親の不安やストレスと子どもの情緒障害の関係を調べたのですが、これははっきりと、親の不安が強いと、子どもの情緒障害の頻度が高まることがわかりました。避難した母親から生まれた子どもの情緒障害は約20%にも上り、事故後10年たっても半数以上の母親、3割以上の父親が不安、慢性的なストレスをかかえていました。

小児科医・浦島充佳さんインタビュー全文(3)「原発事故の罠」にはまりつつある日本 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

こうした指摘もある状況で、放射線被曝の危険を強めに主張して避難を呼びかけることが「事態の悪化」に繋がらないとは決して言えまい。ではなぜ「エア御用」という罵倒は避難を呼びかける側にばかり集中し、その反対側には来ないのか?蓋然性を言うならば後者の方がずっとリスクが高いと思えてならないのだが。

またこの視点から見れば、「民衆の敵*5扱いされている山下俊一氏の、一部で非難の的となっている

放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます。でも、その笑いを学問的に、科学的に説明しうるだけの情報の提供がいま非常に少ないんです。

2011年3月21日14時- 山下俊一氏・高村昇氏「放射線と私たちの健康との関係」講演会(前半) | 記者会見全文の文字起こしを掲載致します

という発言などはまさに、科学者が科学者として禁欲的に振る舞うだけではなく、主観も交えて踏み込んだ発言をすることで、未然にリスクを抑止した行動の見本として賞賛されるべきではないのだろうか?どうして山下氏は悪魔のごとく罵倒されなければならないのだろうか?

結局は政治的バイアスでしょう

要するに、「エア御用」という言葉を使っている人は、自分たちの先入観にある図式に従って、人間を善と悪に二分しているだけである。そして今回の件においては、枝野官房長官(当時)の「直ちに影響がない」という発言が曲解されたことに象徴されるように、「悪」とは「原子力村」、噛み砕いて言えば「政府と大企業」という古典的な図式なのだ。曲がりなりにも中道左派政党が政権を握っている現在において、このような冷戦期の遺物のような世界観はあまりにも古色蒼然といえはしないだろうか?

私がたびたび出入りするとある駅前では、某革新政党がよく「大企業にばかり儲けさせるな、税金をもっと搾り取れ」という調子のビラを配っているのだが、滑稽なのはその駅の付近には複数の「大企業」の事業所があり、乗降客のほとんどはそれら「大企業」の社員であることだ。おそらく、この人たちは自分が一体なにをやっているのか気づいていないのだろう。「善」である「労働者」と「悪」である「大企業」の立場を兼ね備えた人間の存在に気づかないようなお粗末な想像力と人間観。「エア御用」を非難して喜んでいる連中というのは結局その程度の幼稚な輩なのである。

*1:id:ublftbo氏の造語の必要性がない - Interdisciplinaryという記事はあるが、私とは視点が幾分ことなる。

*2:原文ママ

*3:たとえば各種ワクチンの強制接種のことを考えてみるとよい。これも「科学と政治の結託による暴力」と呼べなくもないし、実際にそう主張する者もいるが、接種を受ける方が個人としても集団としてもリスクを劇的に低減させることは明らかである。

*4:ついでに述べておくと、私の理解が誤りでないならばこれは閾値なし仮説が否定されていないというだけではなく、その逆のホルミシス仮説も顧慮の余地がないわけではないことをも意味する。「エア御用」という言葉に理解を示す人たちには、ホルミシスを持ち出すとトンデモ扱いする傾向が見受けられるので念のため注意を喚起しておく。

*5:言うまでもなくこの言葉はイプセンの同盟の戯曲を念頭においている。この戯曲ではもっぱら科学的な正しさに準じた主人公の人物像が語られることが多いが、世論に阿るマスコミや、容易に煽動される「堅実でリベラルな多数派」が主人公の糾弾の的となっていることにはもっと注意が向けられるべきではないだろうか。私は山下氏の立たされた立場こそ、この話の主人公のそれにそっくりだと思うのである。

算数の成績が悪そう

「国語の成績」が良いらしき人からの言及に反応する。

[国語の成績が悪そう…] http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20111011/1318263682

Twitter. It's what's happening.

@flurry すこし補足しておきますと。文章内でなんらかの単語(御用なり全体最適なり)が用いられるとき、その単語の意味が文章全体によって示される、なんてことはよくあるんですが。そこで、自分の考えた、あるいは辞書で引いてきた定義を持ってきて、「この文章はおかしい」とやるとゆー。

Twitter. It's what's happening.

悪いが、大笑いさせてもらった。釈迦に説法ここに極まれりである。私は応用数学が専門だと書いたはずだ。その分野の専門用語の解釈に講釈を垂れようなどと笑止千万どころか笑止億兆の世界である。
あなたのご専門の分野*1ではことによると「単語の意味が文章全体によって示される、なんてことはよくある」のかもしれない。しかし、いわゆる理系の学問、なかんずく数学あるいはその周辺分野においてはそんなことは絶対にない。定義が揺れるような語法ではまともに議論が通用しない。定義を動かさないことはイロハの「イ」の一画目のはらいの書き出しである。
そして「御用」の言葉の定義がどうだこうだなどということは全く言っていないわけである。頭がよろしいid:flurryさんよ、あなたはいったい何を反論したつもりになっているのだ?
あ、そうだそうだ、「単語の意味が文章全体によって示される」というのであればこの場合「紛糾」だの「御用」だの「全体最適」だのがどういう風に解釈されるべきなのか、文意に即して説明付きでぜひぜひぜひぜひご教示いただきたいね。

*1:具体的に何なのか、そもそもそれがなんであるのか知らないが。

「エア御用」こそが「専門家を監視する非専門家」である

ここ連日の件の関連で、目に付いた記事http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031があるので俎上に挙げさせていただく。なお、同種の発言が数限りなくあるなかでこの記事を取り上げた理由は、

  • 記事著者id:letterdust氏がこの件関連で私に揶揄的に言及していること
  • 同記事が福島第一原発事故以降のある層の典型的な反応を要領よく要約していること
  • 本ブログ開設以来同氏は私を継続的に批判しているが、執拗に人格攻撃をされた記憶はなく、建設的に議論に応じていただけると期待できること*1

という程度の理由であり、他意はないことをあらかじめお断りしておく。

「エア御用」は専門家ではない

id:pollyannaさんのところで違和感を感じた「違和感」についてと、「エア御用wiki」を巡る〈科学者不信〉−−科学不信ではない−−について取り上げてみたい。
違和感で一番最初に感じたことは「あれ?非専門家が専門家を暴走しないように監視するって普通じゃね?」というのが法学部政治学科卒業30歳の感想。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

あなたより半年と若くないと思われる応用数学専攻の私から見ても、あなたの言っていることは正しいように思う。ただし、「一般論としては」だ。たとえばこのあたりを見る限り、あなたは「敵を間違えている」としか言いようがない。
完全に誤解されていると思うが、原発業界御用学者リスト @ ウィキ - アットウィキで名指しされている人たちを「エア御用」と呼ぶとすると、私の知る限りこの中に挙げられている研究者は誰一人として原子力工学の専門家ではない。なぜか「物理学者」が非難されているようだが、物理学と原子力工学倫理学と刑法学ぐらい違うものだ*2。しかも、その多くは脱原発派であることを公言している。この人達はまさに「非専門家が専門家を暴走しないように監視する」という行為を行い、その傍らでトンデモ排除を行っているだけなのだ。このことは賞賛されるべきことでこそあれ、非難になど値しようはずがない。この人達がトンデモを積極的に排除しなかったとすれば、「在特会を非難しない保守派」と同様に自浄能力がないとみなされて当然であろう。その意味で、逆にあなたの

科学技術をはじめとする権力(実際には意識していないかもしれませんがそれは人を強制させる実行力です)をもつわたしは、現状によって恩恵を受けている。そのわたしが考える「善」は現状維持派にとって都合のよいものであるというバイアスを意識するのにこのたびの「エア御用」という言葉は言いえて妙であるなあと関心したのでした。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

という発言は、たとえば朝鮮学校を攻撃する在特会を批判した保守派を「北朝鮮を利する裏切り的行為だ」などと断罪するのと同じことだと気づいているだろうか?
繰り返す。「エア御用」は原発推進派の回し者であるどころか、合理的論拠に立った批判をぶつけてくるという意味で一番厄介な相手なのである。その意味では「エア御用」こそが、原発推進派からも敬意を払われていたという高木仁三郎氏の遺志を受け継いだ人たちであるといえるのではないか?

誰が権力者なのか?真の「敵」と戦えるのは誰か?

言いたいことのほとんどは前段で終わりであるが、蛇足としてこの件に関して私が感じていたことを二、三述べておくことにする。

上の引用部でid:letterdust氏は科学技術を「権力」と述べた。その判断は今は措こう。しかし、自然科学に基づく科学技術が「権力」であるならば、社会科学・人文科学に基づく批判も同様に「権力」であるはずだ。

ところがあなたや、あなたが引用する平川秀幸氏をはじめ、科学(者)不信を語る人たちは

平川氏が指摘するのはタイトルにもつながるに「誰のためにその科学技術を行使するのか」が常に問われているということ。しかして、その問いの困難さは「誰」がどこまで含まれるか、またその彼/彼女の善は誰がきめるのかという当事者性をめぐる政治の問題なのです。

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

という行動原理を満たしているだろうか?私には極めて疑問だ。例えば原子力工学界の大御所である石川迪夫氏に対してはトンデモでない批判がほとんどぶつけられない一方で、事故以前から原子力に批判的だった菊池誠氏などばかりをあなた達は批判する。それは原発推進派を利することではないのか?石川氏などは自ら原子力の危険性とその対策について語った原子炉の暴走―臨界事故で何が起きたかなどという本を出している。一般向けの入門書の体裁であり、はっきり言って本気で「非専門家」として脱原発を目指すならば「敵を知る」上で必読である。これを読めば「原発推進派」はあなた達が思っている以上の強敵であり、「安全神話」などの紋切り型の原発推進派批判がまるで役に立たないことがよくわかる。この本の前にはネット上の低レベルな反原発議論は跡形もなく吹き飛ばされてしまう上に、「悲劇の科学者」としてもてはやされている小出裕章氏ら*3やなどの「専門家」*4などは「味方」として何の役にも立たないという厳しい現実を認識せざるを得ないはずだ。

本当に原発推進派を論破したいのならば石川氏あたりと正面から論争するようなことから逃げてはいけないはずだが、わざわざ「敵」の大ボスがこうやって自ら非専門家の土俵に下りてきているにもかかわらず、この書については題名すらネット上で見かけたことがない。どうして本物の「原発推進派」と戦おうとしないのか?また、せっかく一般人よりも基礎知識を持った人材が反原発陣営にいるにもかかわらず、なぜそういう人たちを「エア御用」と煙たがって切り捨ててしまうのか?

結局、本当の「敵」と戦うよりも内ゲバが優先なのか、と思わざるを得ないのだ。

全体最適」は敵に非ず

もう一つ、本ブログのテーマでありまた私の専門性に直結することとしてここはどうしても看過できない。

それは誰かをひき殺した上での全体最適に立つ「公共性」ではないのか?
また、それは誰にとって最適なのか?

http://d.hatena.ne.jp/letterdust/20111009/1318139031

誤解であって欲しいのだが、よもや未だ「全体最適」は個を圧殺する全体主義の論理だと誤解したままではおられまいな。こんな混乱した二文が並んでいるのを見る限り、寒心に堪えないのだが、杞憂であって欲しいものだ。

念のため指摘しておく。ことが「全体最適」である以上、「誰にとって最適なのか」という問いへの答えは「全体」に決まっている。問うとするならば「どういう意味で」全体最適か、だ。「最適」というのは「ある価値基準を前提とした上で最もすぐれた解」という意味であるから、あらまほしき状態は常に何らかの意味で「全体最適」なのである。無論、ここでの「価値基準」には「個々人が理不尽な不利益を受けぬこと」という制約を設けることさえもできるし、「国全体のGDPが増えれば貧富の差が拡大しても構わない」というようなものだけが「全体主義」のあり方だと思っているとすればそれは全くもって典型的かつ初歩的な誤謬である。

その意味で「公共性」が「全体最適」の上に立っている「べき」であることはむしろ同語反復的でさえある。その点だけは誤解しないでもらいたい。

そしてまた、「全体最適」か否かは「善」か否かの価値判断を意味するものでもないことを再度強調しておく。例えば、

  • 事故の損害や環境問題は一切度外視してエネルギー安定供給だけを念頭に原子力と火力を最大限に推進する
  • CO2排出量を最小化するために事故や公害の被害は度外視して原子力再生可能エネルギーを同時に推進する
  • 経済を維持しつつ放射線被曝を最小化するために即時脱原発し、地球温暖化を度外視して火力発電に全力回帰する
  • CO2削減と放射線被曝抑止だけをめざし、あらゆる副作用を度外視して火力・原子力ともに即時全廃する

これらの極端な結論はいずれも何らかの意味では「全体最適」な解であるのだ。そしてもちろんこれら四者の中庸にある解も、また全く判断基準を異にする解も、別の意味で「全体最適」であり得る。

全体最適」という言葉に囚われるのは全く無意味なことだということは何度でも強調させてもらいたい。

追記:ブックマークにお返事

本記事に付いたブックマークコメントにお返事する。

b:id:unyounyo id:Sokalian定義のエア御用は狭い専門家も原子力村も十分に監視してへんよな。 2011/10/12

十分やないと思うなら自分でやったらええだけやと思うがな。欠けとる点が見えとるからそない言うんやろ?だったら自分で補わはったらええやん。
あんたが反原発派やと仮定して言うけれど、「原子力村」なんてもんがほんまにあるなら知恵を出し合うていかはらへんことには反原発派が勝てる見込みなんて到底ないで。逆に敵さんが「狭い専門家」なら広い分野の知識を集めれば向こうに勝てる見込みは高まるはずやな。いずれにしてもボランティアでやってくれてはる人を責めるんは筋違いやろ。
それと、私は「エア御用」なんて言葉、定義した覚えないからな。本家本元の記述をそのまま引っ張ってきただけやから。私はそもそも「エア御用」なんてもんが存在すると思ってへんし。そこのところは一応断っとく。

*1:こんなことは「当たり前」のことなのだが、「はてなサヨク」の中では稀有と言わねばならないのが全く悲しいことだ。

*2:個人的には、今回の件で最も非難されるべきは原子力工学者よりも東京電力の経営者や原子力安全・保安院の官僚であると思うが、そのことはひとまず措いておく。

*3:実際はその名は完全に虚像である。査読論文を書いていない、つまり仕事をしていないのだから昇進できるはずがないのだ。むしろ解雇されないのが不思議なくらいである。詳細はhttp://www.yasushi-studio.com/tweet/2011/05/post-2252.htmlに譲るが、学位を取ってもポストに就けない人が溢れかえっている昨今、こういう「給料泥棒」かつ「税金泥棒」の存在が許されてよいのか私は非常に疑問である。

*4:ユダヤ陰謀論者温暖化CO2原因説否定論者広瀬隆氏などに至っては「専門家」ですらないが。